2020年4月、 新型コロナがテレビの向こう側の出来事でなくなった夜  ライター椿れもん

2020年4月、 新型コロナがテレビの向こう側の出来事でなくなった夜  ライター椿れもん

WEBライターの椿れもんです。

令和2年4月7日、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、大阪府、兵庫県、福岡県を対象に、緊急事態宣言が出されました。これら7つの都府県に居住、通勤・通学をしている人はもちろん、そうでない人にとっても、相当大きなインパクトのあるニュースだったと思います。

大阪府・兵庫県と隣接する京都府に住んでいる私も、この日の夜を境に自身の生活が大きく変わっていくこととなりました。ただ、それは政府が緊急事態宣言を出したことよりも、もっと狭いエリアでの衝撃的なニュースが飛び交ったからなのですが。

 

あの日の夜、いったい何があったのか。

それ以降、私の身に降りかかった生々しい出来事や医療関係者から実際に聞いた話を振り返りながら、ウイルスよりもよほど怖い人間の心理、絶対的な正解のない中で判断を下さねばならない組織のリーダーの苦悩などについて、私が感じたことを書き残したいと思います。

 

ソーシャルディスタンスでは語れない、人の心理的距離

新型コロナウイルス感染防止対策として、3つの「密」を避けましょうと連日繰り返し報道されています。そして、人との距離をとる重要性を説明するために、「ソーシャルディスタンス」という言葉が、しきりに使われるようになってきました。

 

3つの「密」を避けるためのソーシャルディスタンス

3つの「密」とは、

(1)換気の悪い「密」閉空間

(2)多数が集まる「密」集場所

(3)間近で会話や発声をする「密」接場面

のことです。

 

そして、ソーシャルディスタンスとは、直訳すると「社会的距離」。外出が必要な時には、人との距離を2メートル以上は空けるよう推奨され、買い物でレジに並ぶ時にも、前後の人と1メートルの間隔を保てるよう、床にビニールテープが貼られている店舗をよく見かけるようになりましたね。

 

人を見たらバイキンだと思え!?

確かに、不用意に接近して感染リスクを高めないのは大切なことです。昔から「人を見たら泥棒と思え」という諺がよく使われますが、昨今の社会情勢においては、マスクをしていないと非常ブザーを鳴らされたり、入店を拒否されたり、まるで戦時下の「非国民」扱い。

まさに「人を見たらバイキンだと思え」といった様相を呈しています。

※正確に言えば、ウイルスは菌ではありませんが、あえてわかりやすくイメージした表現として、バイキンという言葉を選びました。

 

ソーシャルディスタンスとは、あくまでも空間における物理的距離を指しているわけですが、新型コロナウイルスという特効薬がまだない未知の病原体を恐れるがあまり、人との心理的距離の保ち方までもが難しくなってきているのを、私は日々感じています。

 

 

心理的距離の境界線「準当事者」

世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスは、もはや日本国内においても「いつ誰が感染してもおかしくない」状態だと言えます。

これはつまり、「自分も知らないうちに媒介者となって、誰かに感染させてしまうかもしれない」ことを意味しているのですが、現実にはなかなか実感できず、一方的に「被害者」目線でのみ生活している人が多いのも事実です。

 

これだけ報道されていても、所詮は他人事

私は、自身が担当しているラジオ番組の中で、3月に僧侶の方をゲストにお迎えして、お話を伺う機会がありました。その中で、昨今の様々な社会問題や大きな災害、事件等について、連日メディアが報道しているけれども、多くの人にとって「所詮は他人事」でしかないと語られていたのが、とても印象に残っています。

そして、今回の新型コロナ騒動に関して、改めてそのことを痛感することになりました。

 

新型コロナウイルスに関して、多くの人が衛生管理に神経を使い、様々なシーンで行動に何らかの制限を受け、自粛に努めていると思いますが、それだけで「自分事」と言えるかというと疑問です。

常に最前線で戦っている、医師や看護師をはじめとした医療専門職の人たちは、決して他人事でいられるはずなどありません。ただ、院内で感染者が既に発生しているかどうかによって、多少の温度差が生じている部分が全く無いとは言い切れません。一般の人から向けられる視線も、その点において違いがあるのを感じます。

 

「準当事者」になったら、生活が一変

自らが感染、もしくは同居家族が感染したら、間違いなく「当事者」となります。どれだけ気を付けていたか、どんなルートから感染したかは、いっさい関係ありません。個別の事情によっては、想像を絶する非難を浴びるケースもあり、まるで犯罪者のような扱いだという話も耳にします。

 

では、自分と家族だけが気を付けていれば、渦中の人にならずに済むのでしょうか? 残念ながら、そうではありません。自分の日々の生活で所属先や、関わりの大きい場所(多くの場合は職場)で「感染者」が出た場合、限りなく当事者に近い立場になります。

私は勝手に「準当事者」と呼んでいますが、この立場になった瞬間、生活は一変します。なぜそんなことを断言できるのかというと、今回まさに私がその立場を経験したからです。

 

仕事で関わりのある医療機関の看護師から、コロナ陽性反応が出たと報道されたのが、まさに緊急事態宣言の出された4月7日の夜。

仕事仲間から送られてくるLINEメッセージの数々に、事の重大性と深刻さを感じずにはいられませんでした。

 

兼業ライターとして活動している私は、全ての仕事先に医療機関も勤務先の一つであることを、かねてより申告済みです。決して内緒にしていたわけではありません。とはいえ、このような事態になった以上、たとえ自分が「当事者」もしくは「濃厚接触者」ではなくとも、今回の件を問われるまで黙っていて良いものか、何食わぬ顔をして出勤して良いものかどうか、一晩かけて考えました。

 

そして、翌日の朝イチに、念のため正直に申告することにしました。それが社会人として、最も誠実な対応だと思ったからです。私は、自分が公式に知らされている範囲の情報をまとめて、所属先の責任者宛てにメールを送りました。

 

その時点では、また何か続報があれば知らせてほしい、ひとまず検温や手洗い・消毒等をこれまで以上に徹底するようにとのお返事でした。しかし、各方面からの連絡が頻繁に入り、状況は刻々と変わっていきます。

 

長い長い夜

折悪しく、8日の夜の当直勤務は私。

NHKニュースや地元紙の報道を見た、来院歴のある人、近々来院予定のある人から、ひっきりなしに問い合わせ電話がかかってきました。受電した電話の件数を数える余裕などありません。取りきれなかったものもたくさんあったはずです。約4時間にわたって、息つく間もなく説明と謝罪を繰り返し、受話器に向かって頭を下げ続けました。

 

鳴りやまない電話の大半は、「自分が来院した日に、今回感染が発表された看護師との接点はなかったか」を不安に感じてのもの、つまり「自分が濃厚接触者に当たるのか否かを確認したい」という主旨の問い合わせ。

調査結果の事実に基づき、その心配はない旨を丁重にご説明すると、ほとんどの方は安堵され、こちらを労う言葉をかけてくださいます。

 

ただ、陰湿なクレームや脅迫電話なども数件あり、深夜2時台、3時台になっても、執拗な嫌がらせの電話の対応に追われ、それはそれは長くてツラい夜でした。

夜が明けてからも、早朝にマスクもせず玄関先に現れ、「コロナはどこですか?」と尋ねたご年配の方がおられたと、別の職員から聞きました。これを野次馬と呼ばずして、何と呼べば良いのでしょうか。

 

自宅待機という名の謹慎!?

疲弊しきって帰宅した私を待っていたのは、他の仕事先とのやり取り。夜勤中にも着信はあったのですが、翌朝まで対応できない旨をショートメッセージで返信するのが精一杯でした。朝食も睡眠も後回しで、こちらから連絡を入れることに。

 

労いの言葉をかけられたものの、組織としての答えは、「自宅待機を命ずる」というものでした。そして、約1ヶ月後の契約期間満了をもって退職することが既に決まっていたという事情もあったからだとは思いますが、「社内に残っている私物は宅配便で送るから、取りに来る必要はない」旨を言い渡されたのです。

待機期間終了後に、挨拶がてら荷物の引き取りに伺おうと考えていた私は、さすがにショックを受けました。

そこまでされなければならないのかと、悲しくなりました。まるで、謹慎を言い渡されたのと同じような気分です。

 

何もこの企業が、特に非情な対応をされたとは感じていません。組織としては、「甘い判断をしたために万が一にも何かあった時、誰も責任を取れない。だから、あなたには本当に申し訳ないのだけれども、念のため厳しめに対応せざるを得ない」というのが本音なのだと思います。私に申し渡さなければならなかった担当者の苦悩や、つらい気持ちもよくわかります。

 

それでも、実際に複数の仕事先で、自分の処遇についての臨時会議が開かれ、その結果、自宅待機を命じられるという経験は、私にとってかなりのダメージを受ける出来事でした。しかも、自分に何か落ち度があってのことではなく、もらい事故のような形でのとばっちりなのですから、なおさらやりきれない気持ちになりますよね。

 

急激なストレスを受けた私は、治癒していた頭痛が再発し、数日間続きました。(幸い、この記事を書いている今はすっかり治まり、他に何の症状もありませんのでご安心ください)

たった一晩で、新型コロナとの距離感がここまで近くなり、周りの人との心理的距離がこんなにも開くのかと、思い知らされました。

 

 

医療関係者からの切実な声

救急外来の事務仲間も、概ね似たような経験をしたそうです。

「兼業先から、今後の勤務に難色を示された」「家族から理解を得られなくなったので辞めたい」「町内会の会合に出席したら、皆の声が聞こえないくらい離れた席に追いやられた」等々。

 

新型コロナウイルスは、残念ながら人の目には見えません。見えないものを恐れるというのは仕方がないことで、強い感染力があり特効薬がないとなれば、誰もが恐れるのは無理もないことです。

でも、だからと言って、そんな恐怖を感じながら、さして高くもない報酬と引き換えに、医療の最前線で体を張って仕事をしている人間(医師や看護師に比べたら、それ以外の職種の収入は低水準です)が、なぜこんな目に遭わなければならないのでしょうか。

 

金曜日の正午に医療従事者への感謝を込めて拍手をしようといったアクションも報道されていますが、身も蓋もない言い方をすれば、「拍手なんかしていらんから、過剰な警戒をやめてほしい」というのが私の本音です。

 

私には、臨床検査技師として働いている親友がいます。責任感の強い彼女のことが心配で、3月下旬から3回メッセージを送っていますが、既読にはなるものの、返信は未だナシ。中高生じゃあるまいし、既読スルーに腹を立てるような関係性でもありません。ただ、ここまで返信がないのは今までにないことで、休憩もままならない過酷な勤務を強いられ、帰宅後も心身に余裕がないのであろうことが、容易に推測できます。

 

彼女のような過酷な現場で働いている医療専門職の人たちが、食事の用意に時間とエネルギーを使わなくて済むよう、美味しいお弁当を差し入れしてあげられる仕組みを作れないものなのかなぁ、と思わずにはいられません。

(私は医療専門職ではなく、幸いそこまで大変な環境ではないので、必要ありません)

 

 

まとめ

自粛疲れだとか、物が売れないだとか、必要なものが買えないだとか、保障や給付金の額が少ない・スピードが遅いだとか、国民の不平不満を煽るような報道が目立ちます。うわべだけで医療従事者に感謝しているフリをしながら、現実にはあからさまな偏見対応がなくなりません。

 

何も新型コロナに限った話ではなく、面倒で厄介なことは「総論賛成・各論反対」になりがち。

テレビ画面の向こう側の話だと思えている距離感のうちは、それなりに寛容でいられたのに、いざ自分のすぐ近くの距離まで近づいてきたら、話は別という行動になってしまう、人はそういうものなのです。

 

私だって、同じような反応・行動をしてしまう場面が多々あると思います。だから、誰かを責めることもできません。

ただ、ものすごい使命感で働いている人たちの心身を、どうかこれ以上、疲弊させないでください。切にお願いします。

「準当事者」になったからこそ味わった経験を踏まえ、人一倍の実感と切実な思いを込めて……。

 

 

 

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椿れもん

椿れもん

ライティングを学んで3年、2018年秋から兼業ライターとして活動を始めました。 それ以前は、10代、20代の頃に詩歌集を自費出版、30代では共同出版の経験があります。また、起業家コミュニティで11年間、メルマガ編集責任者をしています。