「大丈夫です」という敬語の誤用より恐ろしい、恋愛の地雷ワード「大丈夫?」

「大丈夫です」という敬語の誤用より恐ろしい、恋愛の地雷ワード「大丈夫?」

WEBライターの椿れもんです。

 

「最近の若者は、“大丈夫”という言葉の使い方がおかしい」

そんな風にぼやく中高年の声を、数年前からよく聞くようになりました。

たとえば、コンビニでお弁当を買って「お箸はお付けしますか?」と訊かれた時や、食べ物や飲み物のおかわりを勧められた時に、不要だと意思表示するために「大丈夫です」と答えるケースなどが該当します。

 

英語の No thank you のような意味で、ソフトに断るには「大丈夫」という言葉が便利だという考えはわからなくはないのですが、どこか違和感を覚えます。

かといって、若者言葉を批判したいわけではありません。

今回は、恋愛における「大丈夫」という言葉の持つ力について、私の持論をぶちまけたいと思います。

 

秀逸だった結婚情報誌のCMコピー

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

 

2017年にテレビCMで放映された、結婚情報誌『ゼクシィ』のコピーが、誰の生き方も否定せず、結婚の価値をうまく伝えていて好印象だと、多くの共感を集めて話題になりました。

大手有名企業の新CMが流れると、視聴者から揚げ足を取るかのような批判意見が寄せられて、放映中止に追い込まれるといった事例が続く昨今。

晩婚だけでなく「非婚」も珍しくなくなった今の時代、「誰の生き方も否定していない」という巷の声は、まさにその通りだと思います。結婚願望が全くない、私のような40代独身女が見ても、嫌みや押し付けがましさを感じませんでした。

この年の「ブレーン広告グランプリ」でグランプリを受賞したそうで、本当に秀逸なコピーだったことが窺えます。

 

「幸せにしてあげる」と言われて嬉しいですか?

私には、聞いただけで過呼吸症状や蕁麻疹が出そうになるくらい、どうしようもなく苦手で、怒りながらアレルギー反応をしてしまう、そんな言葉があります。

それは、

 

「幸せにしてあげる」

 

おそらく、多くの女性にとっては、好きな人から言われたら舞い上がるくらい嬉しい、プロポーズ的な言葉でしょう。

別に、過去に結婚詐欺にあったとか、何かトラウマ的な出来事があったわけではありません。

でも、私はどうしてもダメなのです。こんなことを言われたら、間髪入れずに憎まれ口を叩いてしまいます。

 

「はぁ? 私は誰かに幸せにしてもらおうなんて思ってないし。だいたいな、幸せっていうのは誰かにしてもらうもんじゃなくて、自分でなるもんやし、なるというより感じるものやから」

 

なんて可愛げがない女なんだろうと、自分でも思います。

好きでもない人から言われたのならいざ知らず、大好きな人から言われても、この言葉だけはどうしても受け付けないのです。かなり病んでいると思います。闇が深そうですよね。

 

実は、この言葉が自分にとっての禁句だと気づいたのは、2015年の夏に受講した、とあるワークショップがきっかけでした。書くのも聞くのもほろ苦い感じがする、「苦手な言葉」を各参加者が3つずつ持ち寄るということで、私が用意していったのは、

 

「とりあえず」

「単純」

「わざわざ」

 

この3つでした。

 

当日のワークショップは、各自が持ち寄った苦手な言葉に、愛ある「まなざし」を加え合い、ポジティブな言葉で再定義することで、少しでも受け取りやすくしようという趣旨で、和気あいあいと進行されました。

 

しかし、2巡目のワークを終えた時、私は自分の中に、どす黒い強烈なNGワードが潜んでいたことに気づいてしまったのです。

 

それが、

 

「幸せにしてあげる」

 

他の参加者は、なぜこれがそんなに嫌なのか、共感しづらいような雰囲気でした。

「自分も言われてみたい」「うらやましい」「愛されてる」「もう既に幸せ」「タダならもらっちゃえ」とか、どれもこれもが私とは真逆の、愛あるまなざしを続々と加えられながら、「あぁ、なるほど。そういう受け取り方もあるよね」とは思いつつも、私は「はい、そうですか」とすぐに素直に再定義できるまでにはなれませんでした。

 

「幸せにしてあげる」の再定義に悪戦苦闘

最終的に、自分の辞書に新しい言葉で上書きしたのは、

 

「幸せって、人にしてもらうものじゃなくて、自分で感じるもの。でも、そんなにどうしてもしてくれるって言うなら、タダなんやし、もらってあげてもいいと思えるような私になれた時、ホントに幸せって思えるのかな」

 

という表現でした。

 

私は、いったい何様のつもりなのでしょうか。

言われて発作を起こす心配なんかしなくても、こんな高飛車な女に、うっかり間違って「幸せにしてあげる」なんて言う奇特な男の人はいないに決まっています。

一生、NGワードのままでも全く問題なかったのかもしれません。

 

幸福の魔法をかける、極上ワード 「大丈夫じゃないやろ」

逆に、私にとって最高に嬉しくて、心ときめき、癒される言葉って何だろう? と考えてみました。

それは、

 

「大丈夫じゃないやろ」

 

普通なら、「大丈夫?」と心配して声をかけられるのが嫌だと思う女性は、そんなに多くないのだと思います。むしろ、嬉しく思う人の方が多いだろうし、声をかけられなかった方が傷つくものなのかもしれません。

しかし、私は違うのです。

 

「大丈夫じゃないやろ」

 

それは、私が“殿堂入りの彼”と呼んでいる、人生で一番愛した男性からの言葉でした。

極度の甘え下手な私は、誰かにSOSを出すのがとても苦手。

当時の私は、家族のことや、その他いろいろと抱えていることで、いっぱいいっぱいでした。それでも何とか仕事を頑張ろうと悪戦苦闘しながら、大丈夫だと強がってしまう私に、彼はひと言、

 

「大丈夫じゃないやろ。無理するなって」

 

と言ってくれたのです。

ズキュンときました。全身の力が抜けて、涙腺も緩みました。

なんて優しくて、素敵な言葉なんでしょう。

 

甘え下手な女が必死で頑張っている時、「大丈夫?」なんて訊かれたら、たとえ心の中では「もう無理かも」と思っていても、「大丈夫!」と答えてしまうものです。

不器用で馬鹿で、可愛げがないとはわかっていても、こればっかりはそう簡単には変えられません。

それがわかっている彼は、「大丈夫?」なんて野暮なことを訊いたりしなかったのです。

 

逆に、私が結構バタバタと忙しくしていても、彼から見てそのくらい当たり前だと思うレベルだったら、声をかけられることすらありませんでした。

本当に助けないといけない時だけ、仮にこっちが要らないと言ったとしても、有無を言わせず強引に助け船を出してくれました。

彼の見極めはいつも正しく、私のことを本当によく見てくれていると心から思えました。

 

“似非フェミニストな馬鹿野郎”は、どこのどいつだい?

だから、決してうわべだけのつもりはなくても、何かと言えばすぐに「大丈夫?」と訊いてくる男の人には、申し訳ないですが興ざめしてしまうのです。

この手の「大丈夫?」男は、デートの時に彼女の小さなバッグを持ってあげるようなタイプに多いと感じるのは、私だけでしょうか?

もうこの際ハッキリ言ってしまうと、優しさを履き違えた“似非フェミニストな馬鹿野郎”だと私は思っています。

 

そして、男に小さなバッグを持たせて平気な顔をして歩いている女は、さらに大馬鹿だと思って、いつも冷ややかな目で見ています。

 

自分で持つのが嫌なバッグなんて、デートに持ってくるな!!

そんな小さなバッグを持たせて満足していて、あんたの人生、ホントに大丈夫なん?

それより、自分ひとりでは抱えきれへん、“人生の荷物”を一緒に持ってくれる、そんな男を探したほうがええんとちゃうか?

 

もし、心の声が漏れ聞こえたら、360度全方位から石を投げられそうですね。

 

でも、本当に優しくて頼りがいのある男性は、女性に「大丈夫じゃない」と言いやすい状況を作ってくれるものです。そして、しっかり受け止めて、助けてくれます。存分に甘えさせてくれます。

逆に、実は頼りがいのない、見かけ倒しな男は、「大丈夫?」と心配して気遣っているフリをすることで、「大丈夫じゃない」と言って甘えて頼ってこられることを、そう悟られないようにうまく避けているだけかもしれません。

 

街中でいろんなカップルを見ながら、私は心の中でそんなことを思っています。

全くもって大きなお世話だと思いますが……。

 

恋愛における地雷ワード 「お前はひとりでも大丈夫やろ」

そう言えば、こんな私には、実はもうひとつとんでもないNGワードがあったことを思い出しました。

それは、

 

「お前はひとりでも大丈夫やろ」

 

この言葉だけは、私に限らず、女性に対して絶対に言ってはいけない言葉だと、私は常々思っています。

私は、世の全ての男性陣に声を大にして言いたいです。

普段どんなに強くて逞しそうに見える女性であっても、何でもひとりでできて、男なんて要らないというような空気感を出していたとしても。

この言葉だけは、絶対に禁句!!

ほぼ全ての女性にとっての「地雷ワード」だと思うのです。

 

だいたい、このセリフを言われるシーンというのは、他にか弱い女(本当にか弱いかどうかはさておき、男からそう見える女)がいて、男はその女のことがほっとけなくて、「強い君(これも本当に強いかどうかはさておき、男からそう見える女)はひとりでも大丈夫だよね?」と言っているというのが相場です。テレビドラマでも小説でも少女漫画でも、そういうシーンでの定番的なセリフとしてお馴染みですよね。

 

世の中には、意図的にか弱いフリをするのが上手い女が、一定数“生息”しています。

もちろん、もともと持病を抱えていて体が弱いとか、本当にか弱い女性もいると思います。別に意図的に演技している女ばかりだとは思いませんが、実際のところなんてわかったもんじゃありません。

 

「大丈夫じゃない」女の、声にならない哀しみ

本当は傷つきやすくて脆いのに、強そうに見られがちな女は、ハッキリ言ってとても損です。

私のように、甘え下手で強がってしまう女は、「大丈夫じゃない!」と素直に言えないのです。

「私、そんなに強くないのに……」と心の中で絶叫していても、全身がわなわなと震えだすのを感じていても、何も言い返せません。

“か弱い女認定を受けた女”を選んだ男にフラれても、黙って唇を噛みしめて、家に帰って号泣するしかないのです。

かといって、勇気を振り絞って、か弱い女の真似をすることなんて、想像しただけで吐き気がするほど気持ち悪くて、絶対にできません。

 

そんな不器用で甘え下手で、損ばかりしてきたと思っている私のような女が、“殿堂入りの彼”みたいに洞察力の鋭いイイ男から「大丈夫じゃないやろ」と言われたら、コロッといってしまうのはお分かりいただけますよね。

 

男から見たら弱い女だとしても、ひとりで生きていきたい女だっています。

逆に、男から見たら強い女だとしても、ひとりで生きていきたくない女だっています。

そして、強いか弱いかなんて、本当のところはわからないものです。

同じ人間だって、強い時もあれば弱い時もあります。

 

これは、何も女に限った話ではありません。

自分でできないことや苦手なことは他人の助けを借りたいし、甘えたいと思っても不思議はない。しかし、たとえ自分でできることであっても、誰かに甘えることができたら、ものすごく満たされた幸せな気持ちになれます。

 

例えば忙しい職場で、同僚がさりげなく淹れてくれたお茶が格別に美味しく感じるという、あの感覚と似ているかもしれません。

究極の贅沢とは、やろうと思えば自分で簡単にできることを、あえて誰かに丁寧にしてもらうことだと思いませんか。

 

決して、絶体絶命の大ピンチというわけではなく、ひとりで何とかしようと思えばできないわけではない。

でも、少し弱気になっていたり、いつもより疲れていたりする時は、私だって、

ちょっとくらいは甘えてみたいし、「大丈夫じゃない」って言ってみたい。

大好きなあなたには、それをわかってほしい。気づいて、そっと手を差しのべてほしい。

だから、「お疲れさま」とお茶やコーヒーをさりげなく淹れてくれるように、「大丈夫じゃないやろ」と耳元でささやいて、ぎゅっと抱きしめてほしいのです。

 

まとめ

 

冒頭に書いたゼクシィのCMコピーは、本当によくできているなぁと改めて思います。

ひとりでは「1未満」のふたりが、「足して1」の関係ではなく、ひとりでも十分「1以上」の自立したふたりが、結婚することで幸せの掛け算ができる素敵な関係。そんなイメージです。

 

それにしても、「大丈夫」という言葉は、実に奥が深いですね。

使い方を間違えると、とんでもない地雷ワードになってしまうのに、うまく使うことができれば、最強かつ無敵の殺し文句にもなり得るんですから。

世の男性には、ぜひとも「大丈夫じゃないやろ」の適切で効果的な使い方をマスターして、女性に極上の幸せを感じさせてほしいと、心から切に願います。

要らない時は、「大丈夫です」と若者言葉でやんわりお断りしますので、悪しからず。

 

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椿れもん

椿れもん

ライティングを学んで3年、2018年秋から兼業ライターとして活動を始めました。 それ以前は、10代、20代の頃に詩歌集を自費出版、30代では共同出版の経験があります。また、起業家コミュニティで11年間、メルマガ編集責任者をしています。