私、○○を剥かせるとスゴイ女なんです

私、○○を剥かせるとスゴイ女なんです

毒舌な兼業ライターの椿れもんです。

突然ですが、玉ねぎってどこまでが皮なのかと考えたことはありませんか?

そういえば、お隣の国では「まるで皮を剥くように、次々に疑惑が暴かれるから」という理由で「タマネギ男」とあだ名をつけられた政治家さんがいますよね。

ちなみに私は、玉ねぎの場合だと、全体の半分が茶色ければ皮だとみなして剥くようにしています。

今回は、食欲の秋ということで、脱いでも全然すごくありませんが、「剥かせるとスゴイ」私の思い出話です。

えっ? またセクシー系のネタなのですかって??

さぁ、それはどうでしょうか。

最後には、幸福感や人生について語りますので、しばしお付き合いくださいませ。

 

冷凍みかんの苦い思い出

私は、小さい頃からずっと、みかんを食べる速度が極端に遅い子でした。

小学校の給食で冷凍みかんが出た時には、パンやおかずはかなり早く食べ終えているのに、みかんを食べるのに時間がかかりすぎて、クラスの皆が食べ終わってからも、いつまでも一人でみかんと格闘していました。

決して、冷凍みかんが嫌いだったわけではありません。

食べるのが遅い理由は、ただひとつ。

みかんの外皮を剥いた後に現れる、あの白い筋を、とことんキレイに丁寧に取り除いてからでないと食べたくないから。

 

そして、徹底的に白い筋を取り除いてもなお、ひと房ずつを隔てている、あの薄い袋を私は食べません。

だったら別に、そんなにキレイに取り除かなくても良いのではないかとよく言われるのですが、私にとっては大事なことなのです。

 

我が家の独特な “みかんルール”

我が家では昔から、みかんを食べる時にはまず、新聞の折り込みチラシを敷いて、手拭きを用意するのが当然のルールでした。

幼い頃、親戚の家に行った時にみかんを出された私は、自宅と同じように準備をするために、

「おばちゃん、広告の紙ちょうだい」

と頼みました。

しかし、親戚のおばちゃんには、私がなぜ広告の紙を必要としているのかがわからず、

「お絵描きしたいなら、ノートを貸してあげる」

とノートを差し出されてしまいます。

私が

「ノートじゃない。広告の紙!」

と言い張るので、困惑したおばちゃんは母に理由を尋ねます。

我が家ではいつも、折り込みチラシを敷いてみかんを食べていることを母が説明してくれて、ようやく理解してもらえました。

親戚宅以外でも、我が家のようにして食べる人には、いまだ出会ったことがありません。

私のように、徹底的に白い筋を取り除いて、さらに薄い袋の中の実だけを食べるという人間にとっては、みかんを食べることは結構な時間のかかる大仕事。

仕事中や昼休みに、「はい、みかんどうぞ」などと手渡されても、その場ですぐにいただくという選択肢は、残念ながら私にはありません。

家に持ち帰って、ゆっくり時間をかけて食べるか、最初から自分で食べずに家族にあげてしまうかのどちらかになります。

 

私の貴重な休憩時間を、みかんの皮剥きで奪われるのは勘弁してほしい。

決して口には出しませんが、内心そう思っていることは、もしかしたら顔に出ているかもしれません。

 

「柑橘のお刺身」、食べるか作るかどっちがいい?

昔は、冬になると「コタツでみかん」というのが、どこの家庭でもよくある光景だったと思います。みかんは、ダンボールで箱買いするという家庭も多かったでしょう。

箱買いして置いておけば、家族の誰もが自分で皮を剥いてパクパク食べるので、すぐに無くなってしまうという話をよく聞いたものです。

一方、我が家では父も私も弟も、甘夏やはっさく、伊予柑などは、母が丁寧に剥いて、房から出した「柑橘のお刺身」のような状態にして、器に盛っておいてくれないと食べませんでした。

さらに、母がそこまで手間暇をかけて用意してくれていても、

 

「はっさくは、酸っぱいから美味しくないし要らん!」

 

などと、私は文句を言っていたのです。

それでも、体のために食べなさいと言われて、仕方なく嫌々食べていた時期もありました。

なんとも罰当たりな話ですよね。

果物好きな人からは、当然ながら理解も共感もされませんでした。

 

私は今でも、食べるよりも皮を剥く方が好きかもしれません。

ここ2~3年は、そんな時間が無いのでしていませんが、「柑橘のお刺身」を作るのは、結構楽しい作業です。

 

手や口を汁まみれにしても食べたいですか?

そんな私でも、葡萄に関しては、特に巨峰などは皮も種もあるし、何より手が爪の際まで赤紫に染まるので苦手です。

もちろん、誰かのために剥いてあげたいとも思いません。

 

時代とともに、果物の皮や種を取り除くのは面倒だと思う人が増えてきたようで、種無しや皮ごと食べられるという、品種改良された葡萄を見かける機会も多くなってきました。

昔は完全にマイノリティだった私のようなタイプも、今ではそこまで珍しい存在ではなくなってきているようです。

 

果物はご飯のおかずにならないし、その割には決して安いわけでもありません。

食費を節約している庶民にとっては、贅沢品だと言えるでしょう。

そして、庶民でなくても、ただでさえ忙しい現代人にとっては、皮を剥いたり種を出したりする時間が惜しいと思う人が増えるもの無理のない話です。

 

【コンテンツとは、時またはお金を費やしても良いと思えるもの】

とある講座で繰り返し教わった、コンテンツの定義です。

もし、この定義を果物に当てはめて考えるならば、時もお金も費やしたいと思われない果物は、コンテンツとしての価値が低いということになります。

 

しかし、本当に手間がかかる面倒なものは、コンテンツとしての価値が低いのでしょうか?

そこまでしてまで食べたいとは思わない、という考え方自体は半分共感できるのですが、高いお金を払って、時間をかけて、手をぐちゃぐちゃに汚して食べるからこそ、美味しさも格別だという食べ物だってあると思いませんか?

果物の中では、私の場合、桃と柿がそれに該当します。

口に入れたらいいだけの状態にしてもらって食べるのは、もちろん贅沢なことであり美味しいのですが、両手を果汁まみれにしながら自分で皮を剥いて食べる方が、もっと美味しい気がするのです。

 

恋人の○○を剥いてあげたこと、ありますか?

果物以外では、カニがまさにその典型例でしょう。

カニの殻にハサミで切り込みを入れて、身を掻き出すのは手間がかかるし、手もぐちゃぐちゃに汚れます。それでも自分で苦労して掻き出した身だから、格別に美味しいのだと私は思います。

 

もちろん、お店であらかじめ切り込みを入れるところまでしてくれているのは、親切でありがたいことです。

でも、カニの身を全部掻き出して、お皿に盛られた状態で出されて、ものの数分でパクパク食べ終えてしまっては、ありがたみが薄くて味気ないように思いませんか?

 

稀に、「恋人にカニの殻から身を掻き出してほしい」という人の話を聞くことがあります。

実は私も、過去に一人だけ言われたことがあったのですが、その時ばかりは耳を疑いました。

内心では、「この人、何を言ってるの?」と思いながらも、

 

「俺の歴代の彼女は、全員してくれたで」

 

と真顔で言われたので、負けたくなくて30分くらいかけて、カニの剥き身をお皿に盛ってあげたことがありました。

40年以上生きてきましたが、後にも先にも、誰かのためにカニの剥き身を作ったのは、この時1回だけです。

 

 

目をむくほどに驚いた、○○の殻を剥く女性

そう言えば、昔、祖母の田舎の遠縁だという、若いお嫁さんがお姑さんと一緒に訪ねて来られたことがありました。

お昼に家庭料理を出したのですが、エビ豆のえびの殻を必死に剥いて食べておられた姿には、本当にビックリしました。

体長1センチあるかないかの小さな川えび(スジえびとも呼ばれるらしいです)の殻を剥いて食べる人を見たのは、生まれて初めてのことです。

 

ホタルイカの目玉とくちばしは、丁寧に取り除いて食べる私ですが、さすがにエビ豆のエビの殻を剥こうなどと思ったことはありません。

もしかしたら、世の中には、ちりめんじゃこの目玉を取り除いてから食べたい人もいるのかもしれませんが……。

 

まとめ

一昨年、とある講演で「不便益」という考え方についてのお話を聴く機会がありました。

便利にしすぎることで、人は不幸になることもある。

むしろ、程よく不便であることによって得られる利益や幸福感があるのではないか。

という内容で、なるほど、確かにそうだなーと考えさせられました。

 

自分で剥くか、誰かに剥いてもらうか。

どちらが幸せかは、人それぞれ考え方があるでしょうし、議論をするつもりなどありません。

 

手間暇をかけて苦労してでも、ぜひとも食べたいと思うくらい好きなものがあること。
その食べものを美味しく味わえる、健康な心身の状態があること。
それを、自分で買える甲斐性がある、もしくはご馳走してくれる人がいること。
あるいは、世話を焼いてあげたい、ご馳走してあげたいと思える大切な人がいること。

 

それこそが、贅沢で幸せなことなのだと私は思うのです。

 

みかんもカニも恋愛も。

手間暇を惜しんで面倒くさがってばかりいては、きっと本当の美味しさは味わえないはず。

もしも、面倒くさがりな自分が出てきた時には、どうにか工夫をして精神の脱皮をしてみませんか?

一度きりの、かけがえのない人生を、一滴残らず味わい尽くすために……。

 

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椿れもん

椿れもん

ライティングを学んで3年、2018年秋から兼業ライターとして活動を始めました。 それ以前は、10代、20代の頃に詩歌集を自費出版、30代では共同出版の経験があります。また、起業家コミュニティで11年間、メルマガ編集責任者をしています。