震災後7年。ライターが気仙沼を訪れて知った「震災復興」

震災後7年。ライターが気仙沼を訪れて知った「震災復興」

最近、自然の猛威を感じることが多くなってきました。地震、豪雨、台風。想定を超えるような被害を受けています。

被害を受けたら復旧あるいは復興を目指すということになります。

復旧は元に戻すことです。じゃあ、復興とは何でしょうか。

災害のあとの生活ってどう考えればよいのでしょうか。そんな疑問を胸に、東日本大震災の被災地の一つである気仙沼を訪問してみました。

人間による復興と、自然の猛威を知る

東日本大震災の被災地を訪れるのは初めてです。行方不明の男児を発見した男性にしかられそうですが、震災後7年もたって初めてです。仙台で仕事があり、チャンスとばかりに足を延ばしました。

震災後7年がたつと、いろいろと整備されていました。仙台駅前からバスに乗ると、三陸道(!)を通って、2時間余りで気仙沼の大谷海岸につきました。しかも今日泊まるホテルのすぐ近くです。なんと便利な。

降り立った大谷海岸で私は、立ち尽くしてしまいました。最初に目に飛び込んで来たのは「献花台」で、次に目に飛び込んできたのは、震災前にはこの地域には100世帯もが暮らしていて、とてもにぎわっていたことを記した看板でした。

まわりを見回しても、家は10軒あるかないかでした。

献花台に近づき、手を合わせて気づきました。私は、旧JR大谷海岸駅のプラットホームの上に立っていたのです。駅舎が流されていたので気づきませんでしたが、プラットホームだけが残っていたのです。

ほんとうに根こそぎ持っていく自然の脅威を感じざるを得ませんでした。しばらく、台風の余波で荒波が打ち寄せる海を見ながら呆然としていました。

気を取り直して、隣接している直売所に行きました。

ちょっとほっとしました。直売所では、復興の努力を表すようなお土産はありましたが、震災の「爪痕」や自然の「脅威」を感じることはありませんでした。「ふつう」の直売所です。お土産のおすすめなどを聞きながら、お土産を買いました。

震災と向かい合う

宿は、大谷海岸から歩いて5分ほどのホテルです。歴史のある旅館ですが、白くて、きれいな建物でした。海に向かって立つ姿は、凛とした佇まいを感じます。建物の中もモダンでトイレもトイレの扉を開けると便器のふたが開くという最新のものだったりして、ちょっとテンションが上がりました。

しかし、大失敗をしでかしました。それは、夕食の時間の変更をフロントでお願いした時でした。到着時に夕食の時間を6時か7時かと聞かれて、7時でお願いしていました。

その後、6時は早いが、7時は遅いと思い直しました。そこでフロントで6時半にできないかと尋ねました。そうすると、「シェフがひとりしかいないので、どちらかになります」と答えられました。

「シェフがひとり」というのは、自虐的に言われたのかと勘違いし、声を出して笑いました。そうすると、「震災以来、ずっとそうなんです」と言われました。どんな顔をしていいのか分かりませんでした。

7時からの夕食は、心づくしのおいしい料理で、とても幸せな気持ちになりました。部屋に戻り、翌日の予定を考えている間に、眠くなり、寝てしまいました。気仙沼の市街地に行くことだけを決めて。

 

翌日、気仙沼での飲食やお土産品が安くなるというクルーカードを作りました。申込用紙に必要事項を書いていた時、担当者は、私が住所に「兵庫県」と書いたのを見て、「兵庫県からですか!」と言われました。

私はとっさに(宮城県と)同じ震災県です。お互いがんばりましょう」と返してしまいました。

そうすると、どういうことでしょう。担当者の方が目頭を押さえられたのです。

びっくりしていると、問わず語りで話してくれました。

訪ねてこられた方で、「どの程度復興したのか」、「7年もたつのにまだその程度か」という心無いことを言う方もいらっしゃるとか。

きっと、とても残念な、あるいは悔しい気持ちだったでしょうが、お仕事柄、その気持ちも押し殺していたのではないでしょうか。

東北の我慢強さから考える復興

私には忘れられない担当者の言葉があります。

「もう元には戻りません」

ハッとしました。「どの程度、復興したのか」という問いがナンセンスなことに気づきました。もとに戻しているわけではないので、どの程度とは言えないのです。

被災地では、元の生活を取り戻そうというのではありませんでした。

う元には戻りません。

ですから、前を向いて新しい世界を作っています。

駅舎が根こそぎ無くなった駅のそばの直売所では「ふつう」に海産物が売られ、クルーカードの担当者も「ふつう」に対応していました。

ただ、だからといって震災が消えてなくなったわけではありません。

シェフがひとりになってしまったことを言わねばならなくなったときに、あるいは「震災県」という言葉を聞かれたときに、決して消えてはなくならない震災への思いが出てきたのでしょう。

それは、まるで我慢をしているかのようでした。旅館のスタッフも、クルーカードの担当者も実はもっとお話をしたそうでした。

復興とは、「いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。また、盛んにすること。再興」(デジタル大辞泉)とありました。

間違ってはいないと思います。

が、被災地では、元の生活を奪われた無念さを抱きながらも、そのことをことさらに表に出すこともなく、新しい世界を作ろうとしているように感じました。

少し考えてみると、私たちの日々の生活も同じではないでしょうか。だれにとっても過ぎ去った日々は帰ってこない。そうして日々新しい時を迎えています。未来へ向かって毎日を生きている。

ここ気仙沼では、壊れた道路や鉄道を直す、高速道路を作るという大規模な取り組みがなされています。事の大小はありますが、毎日を暮らしやすいようにしようと努力をしているということでは私たちと同じです。

「復興」というと力んでしまいそうですが、毎日をより暮らしやすいように、より幸せになるようにするということなのかもしれません。

直売所で感じた「ふつう」はこういうことだったのでしょう。翻って、自分の毎日はどうだろう…。暮らしやすいって何だろうか、幸せって何だろうか。

「どれだけ復興しましたか」ではなく、「気仙沼をどんな街にしようとしているのですか」、「その目的はどのぐらい達成できましたか」、「そのために必要なものは何ですか」、という問いでありたいです。そこから暮らしやすさや幸せをどのように考えておられるのかが分かるからです。

復興とは、元通りにすることでもなく、元の賑わいを取り戻すことでもなく、自分たちの暮らしの理想、またそれに向かって努力を続けていくことなのではないでしょうか。

私は、我慢強いこの人たちの応援をしていこうと決めました。募金やボランティア、あるいは観光に行くといったことでも応援できますが、それだけではありません。

まずは、自分も理想を持ち、それに向かって努力をしたいと思います。
くじけそうになったとき、思い出そうと思います。

我慢強い気仙沼のみなさんを。

悲しい気持ちを抱えながらも暮らしやすいように、幸せになるように頑張っておられる皆さんを。気仙沼のみなさんと一緒に生きていることを忘れないようにすることで、応援していきたいと思います。

 

ホテルへ行く道路に立っていた看板に書かれていた言葉を思い出しました。

「未来は、あなたの手の中に」

あなたは、どんな未来を描きますか?