こんにちは!兼業ライターのポーリアです。
今回は、私のライター生活がスタートしたきっかけを、皆さんにお伝えしたいと思います。
ライターになるきっかけはなんだったのか
今から10年以上前に、ある女性だけの会での文章講座を2年間受講していました。
講師は大手新聞社の記者を定年まで勤めあげた方で、毎月課題文を提出して、添削を受けるという指導方法でした。
それから数年間、この講座で書き溜めた原稿を手直しして保管していたのですが、ある日ふっとこんなことを思ったのです。
「せっかくの原稿をこのままにしていてはもったいないのでは?」
何から始めるか、段取りを考える
ではどうしたらいいのかを自問した結果、出てきた答えは「出版社の小説大賞に応募する」でした。
ネットで見つけた某出版社の小説大賞の規定を見ると、文字数がかなり足りない。
それならば、と文章を追加して、その出版社に応募しました。初めての経験です。いつかはそういうものに挑戦できたら、という漠然とした気持ちがあったのも事実です。
翌年も他の出版社の小説大賞のために、さらに文字数を追加して応募しました。
どちらも落選でしたが、意外とそれほど気を落とすことはありませんでした。
まず、kindleで出版しよう
出版社から出せないのなら「自分で本を出しちゃえばいいんじゃないの?」と思い直し、そこから私の自費出版への挑戦が始まったのです。
その頃は電子書籍が出始めた時期だったので、立ちあがったばかりの、ある電子書籍出版社のセミナーに参加し、その時の講師に簡単な編集を依頼し、手始めにkindleでの出版が実現しました。
いよいよ紙書籍出版へGO!!
さあ、次はいよいよ紙書籍出版への準備です。在阪の出版社をいくつか廻りましたが、簡単には見つかりません。
「もしかしたら、出版なんて夢のまた夢なのでは」と焦る気持ちがありましたが、ここはひとつ、時間をかけてでも、納得のいく条件で契約できる出版社を見つけるまではあきらめない、という情熱で動き続けました。
出版社を決定する
ついに、ネットで理想的な名古屋の出版社を見つけ、メールでのやり取りをしながらの進め方でしたが、ようやく出版にこぎつけた時の喜びはひとしおでした。
出版に際しては、費用のこともあり、自分でできることはすべてやることにしました。
例えば、ページ番号、フッター&ヘッダーなどを出版社に依頼すると費用がかさむので、自分でワードを使ってやりました。
「プレスリリース」で自分が出版することを世間に“告示する”
参考までに付け加えておきますが、費用節約のため、出版の契約に含まなかった「プレスリリース」もやはり必要だと感じたので、ネットで見つけた東京の会社に発注して、出版と同時にメディア広告も打ちました。
「プレスリリース」と一口で言っても、条件はさまざまで、自分が必要とする範囲で決めることが可能です。
出版の仕組みを知る
本の流通は通常、取次会社を通すのですが、全国のどこの書店に置いてもらえるかは、その出版社から送られてくる資料で掴むことができました。
出版後はネットでも在庫状況を見ることができるので、一喜一憂の日々を送ったのも懐かしい思い出です。
「紀伊國屋書店」の書棚に自分の本が並んだ!
うれしいことに、担当者の営業努力により、私の長年の夢であった、憧れの梅田・三番街の「紀伊國屋書店」に自分の本が並んだのを見た時は、天にも昇るような気持ちでした。
しかも、開業間もない「グランフロント大阪」南館の「紀伊國屋書店」にも1冊置かれていました。
この日が来るのを長年密かに夢見ていた私ですが、まさか本当に実現できるとは思っていなかったのです。
出版の宣伝には工夫も必要
あれこれ考えるのが好きな私なので、本の出版に合わせていろいろなアイディアを取り入れました。そのうちのいくつかをご紹介しておきましょう。
当時流行り出した動画に触発され、出版と同時進行の形で、ある動画制作会社に依頼して本の宣伝用の動画を作ることにしたのです。その動画のトップ画面に使用するイラストを自分で描き、ストーリー仕立てにするために必要な見本の写真も用意しました。
具体的なビジュアルを示すことで、自分の意図が制作会社に伝わりやすくするためです。
また、動画に入れる字幕・BGMも細かく指示を出し、完成した動画をYouTubeに投稿しました。
続けて、本の宣伝用のFacebook pageと自社のホームページも開設。いくつかの書店の書棚で見つけた自分の本の写真をアップするなど、楽しみながらの情報発信を続けていきました。
長年の夢の実現へGO!!
出版の翌年の夏に、たまたま乗った通勤電車での車内広告を目に止めました。そして私のもう一つの夢は、「自分の本の車内広告を出したい」というものだったことを思い出したのです。
思い立ったら即、行動するのが私のモットーなので、さっそくネットで車内広告について調べました。
広告会社の候補を4社に絞り、一旦決めかけたのですが、どうしても納得がいかなくて一度リセット。最終的に地下鉄などの広告に強い大手の子会社に依頼することになりました。
担当者と何度か打ち合わせを行い、車内広告用ポスターの写真を用意するとともに、テキストも自分で書き、デザインのレイアウトの支持も細かく出して、納得のいくポスターが完成しました。
その年の8月1日から31日までの1か月間だけでしたが、私の広告が地下鉄御堂筋線のいくつかの車両に掲載されました。
資金の都合上、全車両とまではいきませんでしたが、とにかく、「自分の夢がまたひとつ叶った瞬間」でした。
「プレスリリース」第2弾!
車内広告と同時進行で本を購入してくれた人たちへのプレゼントとして自作のイラストをデザインした化粧ポーチを何種類か制作して、再度プレスリリースをかけ、本の宣伝に力を注ぎました。
余談ですが、私のホームページを見て、ある雑誌社から「自社の出版する懸賞雑誌にポーチを提供してもらえませんか?」との連絡があり、喜んで提供させていただきました。
まとめ
こうして私のライターとしての活動がスタートしたのですが、さらなる飛躍となったのは、あるWebライター講座を受講したことでした。
そこで初めてWebライターという仕事に出会い、クライアントから受注して原稿を仕上げる楽しさと苦しさを体験することになりました。
まだまだ駆け出しですが、これからも兼業ライターとして力をつけていきたいと思っています。