イヤなこともあるのにライターを続けるのは、言葉とたわむれるのが快感だからだと思う。

イヤなこともあるのにライターを続けるのは、言葉とたわむれるのが快感だからだと思う。

WEBライターの本田もみじです。

最近忙しくて、たくさんたくさん書いています。

「ライターなんだから書くのは当たり前!」
はいそうです。しかし私の本業は会社員のため、業務内容によってはあまり書かない月も出てくるんです。

だから専業ライターさんのように「1日8時間以上、書きまくる」「締め切りに追われて、30万文字の書籍を書く」ということはそうそうありません。

そんな「書く量にムラがある」私ですが、この2カ月ほどはめっちゃ書いています。
それまで月に8〜10万文字だったのが、その3倍にはなっている予感です。

そして、今まさに、書いても書いても減らない「今月の書くものリスト」を前にして、「まだこんなに書くのか」とため息をつきつつ、この記事に手を付けました。

 

書くことに対してはマゾ

ちなみにこのベストライターズCafeの記事は、仕事ではありません。だから書かなくたっていいんです。

しかし私は今、書くものリストから逃れるために、また何かを書き始めているのです。

アホですね。

私はマゾっ気がない人間です。ほんの少しでも「俺様気配」のある男性は全力で遠ざけます。誰も私を支配することはできません。つらいことの中に快楽なんて見出せません。

しかし、書くことに関してだけは別。「つらい…」の中にある超絶な恍惚を求めて、いつまでもいつまでも続けられるんです。

私のマゾっ気が発揮されるのは、書くという行為に向き合っているときだけです。

 

イヤな仕事はある。でもそれは文章のせいではない

クライアントワークの中では、イヤな仕事もたくさん受けてきました。信頼関係のない人から文章をけなされるのは仕方ないとして、理不尽な修正をさせられた上に「依頼して損した」といわれたこともあります。

ほんの少しの情報しかもらえず、必死に書いて納品するも「もっと汲み取れ」といわれたり、はじめに聞いたレギュレーションとは180度違う記事に改変されてアップされたこともあります。

そのときは泣きます。私、結構仕事で泣くんです。

「ライターなんてやってられっか!」「自分で、か・き・や・が・れっ!」と罵詈雑言を投げつけたくなる相手もいました。

でも、その「イヤなこと」はすべて、人とのコミュニケーションミスが原因です。文章は、言葉は、なんにも悪くない。

私がもっと、的確にニーズを聞き出すためスッポンのように食らいつき、ときには泣き落とし、また相手を誘導しながら、期待値コントロールができたら済む話なのです。

これは何もライターだから必要な要素ではありません。およそ地球上のすべての「誰かと関わる」仕事には付いて回る、必須スキルです。

だから、ライターという仕事自体がイヤになることはありません。
嫌気を覚えるのは、ちょいと苦手なクライアントをうまくさばけない、自分の対人スキルの低さに対してです。

 

ワタナベ先生の予言

小学校に入学した私は、生まれてはじめての「自由研究」で絵本を書きました。絵本といっても簡素なもので、クレヨンで書いたイラストに、何かの物語をセットして提出したのでしょう。

現物は恐らくもうありませんし、どんな物語だったか覚えてはいません。明確に覚えているのは、担任のワタナベ先生に「本田さん、あなたは、お話を書く人になりなさい」といわれたことです。

そこから、たくさん本を読みました。
16歳から10年間は日記を書き続けました。
20代には小説を書いて賞に応募したこともありました。
趣味のブログを長く続けました。
海外旅行の日々を綴ったノートも増えました。
大好きな、仏像のエッセイを自費出版しました。

しかしそれはすべて、お金にはなりませんでした。
当然です。私がお金に変えようとしていなかったからです。
また、「自分の文章がお金になる」とも思っていませんでした。

しかし今、(コミュニケーションの取れない)クライアントにボロカスにいわれることはあっても、文章を書き、それをお金にかえ、生活をしています。

小説家になったわけではありませんが、ワタナベ先生の予言は、35年の歳月を経て、現実になったようです。

やっぱり書くことが好き

「どうして体験していないことを書けるんですか」

これ、よく聞かれます。

私は取材スタイルのライターではないので、依頼があって条件と興味が合致すれば、企業のオウンドメディアの仕事を中心に何でも引き受けます。

そしてそこには当然、私の経験していない分野の記事も含まれます。

経験がないといっても、当然ウソは書きません。ビジネス記事ならファクトチェックもわりかし入念にするタイプです。

そのうえで、なぜ私が「経験の少ない分野」の記事を書けるのかというと、単に「言葉をこねくり回すのが好き」だからだと思っています。

知っていることを書きたい
自分の好きなことを伝えたい

という情熱の前に、

「何でもいいから言葉をいじって遊んでいたら、まあ満足」
「そのお題をくれて、さらに報酬までもらえるなら最高」

という欲求が横たわっているのです。

これが先天的なものなのか、後天的なものなのかはよく分かりませんし、どっちでもいい。まずは、「ものかき」を仕事にできていることで十分です。

ライターとしてやっていく覚悟を決めた以上、野望はある

とはいえ、仕事にしている以上、「いいね」っていってほしい。
納品した記事で、クライアントのビジネスが加速したのならライター冥利に尽きるし、大手メディアに華々しく掲載されてみたい。

もっと単価も上げたい。
私の言葉が誰かの心を動かしたのなら、正しくお金に変えたい。

私の生む言葉の価値を、評価してくれる人と働きたい。

昔書いた小説も、焼き直してみたい。
ライフワークの仏教美術についても、もっと言語化して、届けたい。

「ものかき」をなりわいにしてしまった以上、野望は尽きません。

なぜならもう逃げられないからです。

だから、書くことできっちりと結果を残さないと、これからの人生は面白くならないと思っています。

覚悟を決めた以上、快楽の周りにあるさまざまなイヤなことも引き受けましょう。そして死ぬ前に、「いっぱい書いたなー」といって終われたらいいな、と考えています。

 

(1時間半ほど、この記事で息抜きをしました。今から「書かねばならぬ」記事に戻ります。やっぱ私、変態だな)

 

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本田もみじ

本田もみじ

このサイトの運営者。元道産子、関西が大好きで定住してしまったWEBライター。ベンチャー企業勤務とライター業をパラレルで行き来する日々を送り、ライフワークはアジアの仏教美術巡り。