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複業の時代に求められるプロの力~オタクと何が違うのか~

こんにちは。防災ライターの南部優子です。

今回は、2つの事件から考えさせられた「プロとして生きる」ということについて、お話していきたいと思います。

目次

プロといい切ることに躊躇した2つの事件

お盆明けの残暑厳しい日でした。

とあるできごとが1日の中で立て続けに起き、自分がどんな仕事をしていきたいのかをずいぶんと考えさせられる機会が与えられました。

ライターのプロか、業界のプロかを問われた事件

ひとつめの「事件」は、あるお客様からの修正依頼でした。

私はふだん「なんでも屋」のライターとしていろいろな仕事を引き受けているのですが、ジャンルでいうと防災が専門です。

そのお客様は、私を防災の専門家として指定し、記事の作成を依頼してくださっていました。

いくつかの記事はすんなりと通っていたのですが、今回、ほぼ全面に見直してほしいという依頼が来たのです。

「この記事は現在防災の専門的な視点がメインになっているが、Googleサジェストをみると関連キーワードは防災に無関係。ついては、防災ではない一般の視点をメインにして書き直してほしい」

 

私もプロのライターですから、お客様のご指示であれば、修正するのが当然かもしれません。

でも、でもです。

記事のタイトルからして防災の話なのですし、そもそもこのお客様は、私が防災の専門家だから、防災の視点での記事がほしいから、依頼してきたのではなかったかと、戸惑ってしまいました。

 

防災の専門家が書く記事とうたっているのに、一般の内容が大半でよいのか?
この記事にたどりついたユーザーは、防災の専門的な知見を読みたいのではないのか?

 

検索のキーワードとして求められていないからと、記事の目的そのものを変更するのはありなのか?

ライターとして言われたとおりにすべきなのか、防災の専門家として拒否すべきなのか、わからなくなってしまいました。

クライアントはプロとみなし、会社はコマとみなした事件

その日起きたもうひとつの「事件」は、別のお客様からのご指名がきっかけで起こりました。

そのお客様は、私が前に所属していた会社とコンサル契約を結んでおられたのですが、ずいぶん私を気に入ってくださり、今年度は私に仕事を任せたいと、直接連絡してきてくださったのです。

とても光栄で嬉しく思いましたが、お客様の会社がフリーランスと直接取引するのが難しかったため、元の会社を窓口にしながら一緒に仕事ができないかと打診してみることにしました。

 

ところが、元の会社からは思いがけない回答が帰ってきたのです。

「こういう事態になることを恐れていた。君はいま、会社が育てたクライアントを引き抜いていこうとしている。なぜ直接君が仕事を取りに行ったのか。うちの会社の立場はどうなる。こういうことをされたらこの業界ではやっていけない」

衝撃でした。会社員だったときに裏取引していたのならまだしも(とある芸能事務所の騒動を思い出しています)、今回の件は、私が独立してからずいぶん経ってからの話で、互いに立場をわかったうえでお話をいただいているのに、倫理違反だ、気分が悪いと散々な言いようでした。

 

言い訳をするようですが、お客様が直接私のところへ電話してきたのは、当時会社支給の電話がなかったからやむを得ず個人の携帯番号をお伝えしていたためで、顧客の引き抜きをしたわけではありません。

私からはまったく連絡をとっておりませんし、会社から持ち出した情報もありません。ただ、頭の中に残っている情報を完全に消し去ることはできませんし、お客様の手元にある情報から私に関するものを消せとお願いするわけにもいきません。

 

お客様が元の会社の前に私へ連絡を入れてくださったのは、あくまでも私と一緒に仕事をしたいと感じたからで、ありがたいことに私の仕事をプロの成果として認めてくださったのだと思います。

一方、元の会社は、在社中のはたらきは会社のコマとして評価していても、個人のプロとして仕事をしているとは思っていなかったのかもしれません。

だから退職後、かつてのお客様から個人的に指名されたとき、仕事を奪った、顧客を引き抜いて出ていったと感じたのかと思います。

プロといえる「拠り所」は何なのか

ふたつの「事件」を通し、プロとはいったい何なのか、ずいぶん考えさせられました。

どんなジャンルにいようが、どこに所属していようが、プロであることに変わりないと思っていたのですが、だんだん自信がなくなってきました。

プロって、いったい、なんなのでしょう。

知識、経験、情熱は必要条件

よくいわれるものに「知識」「経験」「情熱」があります。経験は技能といわれることもあるかもしれません。

専門的な知見や実績といわれる経験値は、その道の専門家としては必須条件ともいえます。常に新しい知見を吸収していこうという情熱も、知識と経験を裏打ちするために必要な条件でしょう。

でも、この3つがあればプロなのかというと、それだけでもないような気がします。

他者に与える影響に責任をもてることも条件の一部

もうひとつ、巷でよくいわれるものに「責任」があります。

相手や社会へ与える影響に責任をもてる情報となるよう、根拠となる知識を深め、言葉の定義に神経をつかい、適切な表出をすることにこだわり続けていく姿勢も、プロには必要でしょう。

でも、これだってプロでなくてもこだわる人はこだわりそうです。

品質を保持しつづけるだけの対価を得ていることも重要

スポーツやアート、ゲームなどの業界でプロという場合だと、アマチュアと明確に異なるのは、対価ではないかと思います。

知識や経験、情熱を持ち続け、責任ある情報発信で仕事の品質を維持することのできる対価を得ているか。生活も含め、その仕事で生きていけるだけの稼ぎがあるか。

プロであるということの究極の拠り所は、その仕事と心中する覚悟、なのかもしれません。

オタクとプロの違いは「5つのル」

知識、経験、情熱、こだわり。よくみるとこれって、オタクを構成する要素ともいえそうです。

では、オタクとプロの違いはどこにあるのでしょう。

ここからは、少し別の角度で考えてみたいと思います。仕事へのコミット、つまりどのような関わりかたをもつのかという視点です。

仕事への関わり方を、5つの「ル」がつく言葉で整理してみます。

プロを構成する3要素「ロール」「ルール」「ツール」

仕事への関わり方については、「ロール」「ルール」「ツール」という3つのキーワードで考えていくことができるのではないかと思います。

この3つのワードは、良質なRPGゲームに揃っている3要素として紹介されていたのですが、人と人とが関わりあいながら成果を出しあおうとするときにとても重要なポイントを的確に表しています。

ロール

仕事へ関わるときの自分の立ち位置や、求められている成果を理解し、実行しているか。

自分の好みやこだわりに関わらず、クライアントの希望や関係者との協力体制の中で自分がどう動くべきなのかを判断し、行動に移すことのできる能力です。

ルール

仕事へ関わるときの前提条件や判断・行動基準、評価基準を共有し、行動しているか。

自分だけが理解し勝手に進めるのではなく、他者との関わりの中で知識や経験、情熱を共有し、責任ある行動をとる姿勢です。

ツール

必要な人が過不足なく仕事に関わりあえるしくみを使っているか。情報共有ツールや仕事上のシステムを積極的に活用しているか。

効果的・効率的な仕事を進めるためにスキルを惜しみなく使い、また広めていく技能が問われています。

プロを決定づける2要素「ゴール」と「フィール」

他者と関わりあいながら成果を出すときに必要なことは、実はとてもシンプルなのではないかと思います。

互いの役割を認めあう。自分の能力でできることを最大限に出しあえるよう、共通のルールとツールを決める。そして、互いを信じ、やると決めたことを、きちんと実行する。

仲間を信じて仕事へコミットするときにとても大切なのが、「ゴール」と「フィール」というふたつの要素です。

ゴール

その仕事はなんのために行うべきか。目指す世界は何なのか。

仕事の目的や目標、ビジョンなどが共有されなければコミットしようがありません。

プロは、この世界観が明確で、目指すべきところへの思いが強く、クライアントも関係者も巻き込んでいく力があるのではないかと思います。

フィール

今自分はどのように感じているか。相手や仲間は何を思っているか。

人と人とが関わっていく以上、感じ方の違いや感情のもつれは必ず生じます。軽視することも振り回されることもなく、まっすぐに感じ方や考え方を引き出した上で、ゴールを目指して成果につなげていくのがプロなのではないかと思います。

 

 

今の時代に必要なのは「オタク超えの複式プロ」

プロに必要な能力のうち、知識や経験、情熱、こだわりは、大切な要素だけれど、それだけだとオタクと同じです。

プロとして重要なのは、目の前の仕事に対する関わりかたであり、多様な人間関係や自分の変化に真摯に向き合うことのできる柔軟性ではないかと思えてきました。

ひとつめの事件では、私は専門知識へのこだわりのあまり、お客様の気持ちを軽視して自分の役割を忘れてしまいそうになっていました。

次の事件では、お客様とは目指すべきゴールを共有していたかもしれませんが、会社との役割をあいまいにしたまま、わかってくれているはずと思い込んで合意がおろそかになっていました。

プロは「絶対」を信じない

防災の分野は、災害への備えという誰もが首肯せざるを得ない絶対的正義を押し付けてしまう怖さを抱えていますが、普遍的な目的とみえる防災でさえ、個別のゴールは時代とともに変化します。

どんなにあたりまえと思える主張にも、絶対はない。この戒めをもちつづけることが、プロとして仕事に向き合うポイントかもしれません。

私は防災オタクになりかけ、チームの一員として活動するプロのライターやプロのコンサルという立場から外れてしまいそうになっていたのだと思います。

仕事と向き合うたびにリセットして、自分が何のために、どのような人間として向き合おうとしているのかを問いなおす。周囲に対し、あたりまえの思い込みを捨て、真摯に伝えて共有する。

この積み重ねが実を結び、こだわるだけの「オタク」から仕事のできる「プロ」へと変貌していくのです。

複業の時代は「超オタク」の「複眼プロ」を目指そう

人生百年の時代、生涯おなじ業種にいることも、ひとつの会社に勤め続けることも難しくなってきています。

自分が何者であるかという軸も、時代の変化にあわせてころころと変えていくしかないでしょう。

複業があたりまえになるこれからの時代、「超オタク」で「複眼」のプロを、ぶれずに目指していきたい。

しがみつくのは過去の知識や実績じゃない。今この瞬間です。どんな思い込みも疑いながらこだわる視点、どんな方角から迫られてもリセットして向き合う姿勢です。

「ぶれないプロ」は、こだわりの軸を常に疑う視点や、毎回思い込みをご破算にする姿勢の先に生まれるのだと肝に銘じ、これから起きるいろいろな事件と向き合っていきたいと思います。

 

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