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2020年5月、「人と会う」ことが再定義されていく ~ウイルスへの思考実験(2)~ライター南部優子

防災ライターの南部です。

前回の思考実験では、ウイルスの感染拡大により身体的なつながりを分断された社会が常態化して「新しい日常」となる中、大きな枠と小さな枠で現状を再構築し行動変容することが重要であり、その一歩として情報の質が問われること、そして、良質な情報の確保のためには「人のつながり」がポイントとなるのではないかとお話しました。

今回は、この「人のつながり」について考えていきたいと思います。

目次

人のつながりは、リセットされた

人から人へ感染するウイルスですから、平たく言えば、人と接しないことが防止策の基本です。空間を同じにした活動を避けなければなりません。

ことばにすると単純ですが、これが難しいのです。

人口密度が高いからという意味ではなく、人の行動には人が関わっています。どんな小さな単位であっても――もしかすると小さな単位であればあるほど――他人とのつながりに依存することが多々あります。

これまでにも人類は、さまざまな未知のウイルスに襲われては大きなダメージを被ってきました。そのたびに、社会は強制的に変容を迫られ、様変わりしています。

今回のウイルスは、直接会って行動を共にするという身体的・物理的な人のつながりを、勢いよく断ち切って様変わりさせようとしているのかもしれません。

インターネットによる情報通信のネットワークができていたことにより、かつてに比べて疫学的な理解度も進んで接触の自粛行動がとられた一方で、自粛したコミュニケーションの受け皿として通信による非接触のつながりが飛躍的に伸びていきました。

少なくとも、今後しばらく「人と会う」と言った場合、物理的に移動して同じ空間にいると考えるより、オンラインでのミーティングを想像する人は多いのではないでしょうか。

「人と人が会う」というつながりかたの再定義が、始まろうとしているのです。

 

これからのつながりは「時間」と「空間」に分かれる

ここで、「人のつながり」にはどのようなものがあるかを、改めて考えてみたいと思います。

つながり方の視点は、大きくは今回のウイルスが分断した特徴である身体的接触となるような「空間」が同じである場合と、空間が異なる非接触であって「時間」が同じ場合、空間も時間も異なる場合の3パターンで整理していきます。

(理論上は空間が同じで時間が異なるつながり――特定の場所に行くことによって想起されるつながった感覚など――も、あるにはありますが、ここでは取りあげないことにします)

 

「空間と時間が同じ」つながりの特徴

これまでに「人と会う」というとき、もっとも自然にイメージされているつながりかたです。全身の感覚を使ってコミュニケーションがとれ、同じ場所での空気を感じとり、一体感を形成しやすいつながりです。

この形態には、部屋に集まって実施する会合、協力して行う作業、会場に集合して開催するイベントやスポーツ、ゲーム、式典、旅行、理美容やエステなどの対面サービス、食事や飲み会など、いろいろです。

「空間が異なり、時間が同じ」つながりの特徴

離れた場所だけど同じ時間を過ごしている場合、空間が異なるため肌感覚で実体を確かめることは難しくても、人の動きをリアルタイムで視聴することができ、実存する確かなものとして感じられるつながりかたといえるでしょう。特に双方向のやりとりが可能であれば、相手からの反応が即時に返ってくるため、より一層つながっている感覚は増えます。

この形態には、ビデオ通話などのオンライン通信による会合、オンラインゲーム、ライブ配信などのほか、電話、リアルタイムのチャットなどもあります。ICTの発展により、飛躍的にツールの選択肢が増えてきています。

「空間も時間も異なる」つながりの特徴

離れた場所にいる相手に時間をずらして情報が届く場合です。生身の実体を感じとる要素は格段に減りますが、受けとる側が自分のペースや認識の特性にあわせ、ていねいに相手の存在やつながりを確かめられます。実体がなくても存在を感じ取れ、内容によってはリアルタイムより深く理解し、気づきや考察を促してつながりあうことができます。

この形態には、録画や録音、オンデマンド配信、メールやSNS、WEB記事のほか、書籍や雑誌、ポスター、フライヤーなどの印刷物、絵画や写真、造形物といったアート、手紙、はがきなどがあります。ICTだけでなくアナログのコンテンツもあり、多種多様です。

 

つながりの鍵は「五感の共有」と「自己肯定感」

このようにみていくと、これまでにも人とつながる方法は意外とあって、空間が同じでない場合でも、時間が同じでない場合でも、人はちゃんと互いの存在を認識し、つながっていることがわかります。

ではどうして、「空間と時間が同じ」というつながりがいちばんだと感じやすいのでしょうか。これには、人間のもつセンサーである「五感」の幅広さが関係しているのではないかと睨んでいます。

五感は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つの感覚です。同じ空間にいれば、どの感覚もかんたんに共有することができます。全身で感じ取れるのです。

ところが、空間が異なると、嗅覚、味覚、触覚の3つの感覚が共有できず、視覚と聴覚のみに頼ることになります。それも、限られた面積に入った情報から、直接には共有できない感覚を補完していく必要がでてきます。この補完作業が多ければ多いほどコミュニケーションの負担感が増していき、「やはり会うのがいちばん」となるのではないでしょうか。

ここ最近ものすごい勢いで浸透しているオンラインミーティングが短時間でとても疲れてしまうとよくいわれるのも、リアルタイムであるがゆえに、モニタ越しの限られた情報だけで補完作業を瞬時に行わなければならないことがネックになっているのではないかと感じています。

 

空間の異なるメディアに、五感のすべてを乗せられるか

これからのコミュニケーションは、空間を同じにするつながり方がとても希少となります。空間や時間が異なるつながりは、同じ空間であれば意識せずに共有できていた感覚を敢えて上乗せし、補完作業の負担感を減らしていく必要があります。

おそらく、いままでの延長上で補完方法を考えていたのでは、答えは見つかってこないでしょう。でも、ヒントはあると思います。

「空間も時間も異なるつながり」のところで、相手のペースにあわせて情報を届けることで、リアルタイムよりもていねいなつながりになっていくという話をしました。直接的な補完は無理でも、感覚を想起させるしかけを視覚・聴覚の表現に織りこんでいくことはできるはずです。例えば色で、音で、ことばで。

離れているからこそ、身体感覚を研ぎ澄まし、受けとる側の感性に届けていく技術と感受性が重要になっていくのではないかと思います。

 

「生存」と「存在」のつながりを感じていくために

コミュニケーションをとって人とつながりたいというとき、その目的には、大きく「生存」と「存在」の2つの方向性があるように思います。

「生存」というのは、ここで今を生きていると思える感覚です。

「存在」というのは、自分が存在していてよいのだ、誰かとつながり、たしかに存在できているのだと思える感覚です。

生存の感覚は、特に時間を共有して一体感を感じたときなどに感じやすいかもしれません。対して存在の感覚はリアルタイムでなくても、ゆっくりと理解し、噛みしめるように確認していけそうです。

もちろん感じとり方は人それぞれですが、これから「人とのつながり」をしかけるときには、どの方向性で何の身体感覚を想起させるコンテンツにするのかを考えていくとよいのではないかと考えています。

そして、もうひとつ。

「生存」や「存在」を実感するときにわきあがる安心感や居心地のよさは、つながった先の他者への信頼や自己肯定感とも関係しているのだろうと感じています。

 

* * *

ウイルスという見えない恐怖に分断されて人と人とのつながり方が大きく変容するこれから、社会の動きを目の端に入れつつ、関係性の原点に戻ってサービスのあり方を見直す思考実験を続けていこうと思います。

 

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