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ペットロスを恐れないで。レオと私の1,314日

動物が大好き。特にネコ、犬が好きなポーリアです。 

不景気と言われながらもここ十数年、ペット業界は大盛況のようですね。私もネットで動物を見ると、ついつい頬がゆるみます。

ペットを飼うのには避けて通れないことがあります。それは誰もが知る「ペットロス」です。

愛する彼らとの別れに苦しむ人たちがどのようにそれを乗り越えていくのかは本人にしかわからない。「もう動物は飼わない」「寂しいから次の子を飼う」など、対応は人それぞれだと思います。

そんな人たちに少しでも参考になればという思いで、私の体験を書いてみました。

目次

「もう動物は飼わない」

私は小さい頃から無類の動物好き(特にネコ)でした。

家には母ネコと子ネコ3匹がいて、末っ子だった私にとって彼らはきょうだいと同じ存在だったのです。その後、インコを飼い、卵から孵ったヒナの世話をしたこともあります。

大人になってからも、ある雨の日に当時住んでいたアパートに迷い込んできた生後まもない子猫をミルクから育てて強い絆で結ばれ、引っ越しで飼えなくなるまで、自分の妹のようにかわいがっていました。

自分の子どもが生まれてからもいろんな小動物(カメ・カブトムシ・ハムスター・世界最小のハムスターのロボロフスキー・モルモット)を飼い続けてきましたが、最後のペットとなった2匹のうちの生き残ったモルモットを夜間の救急病院に連れて行った甲斐もなく、夜中に見取った時に「もう2度と動物は飼わない」と誓いました。

そんな私が2匹の犬の世話をすることになった

私が約5年前に入った会社で当時14歳のシーズー犬、レオとの運命の出会いをしたのです。

レオの最初の印象は「あまり愛想のない子」というものでした。

もう1匹は10歳の猟犬の血筋を引いた中型犬で、こちらは「日和見主義」あるいは「風見鶏」と呼びたくなるような子で、食べ物などをくれそうな人には誰にでもシッポを振るという典型的なワンコでした。

彼らのご飯や散歩などの世話が、私ともうひとりの女性事務員の仕事のひとつでした。

シーズーのレオとの出会い

私が仕事を覚えるまでの辛い日々を支えてくれたのがレオだったのです。毎朝のように「また一日が始まるのか」と憂鬱になるとき「私にはレオがいる。そうよ、レオに会いに会社に行こう!」と思うと、

なんとかベッドから出られるのでした。

仕事中に犬のご飯やりとお散歩

ネコと生活した経験は長い私ですが、仕事として犬の世話をするのはなんとも奇妙に感じられましたが、2匹ともよく躾けられているので、慣れてみると可愛くなるものです。

こんな変わった生活を楽しむのもいいものだと思えるようになるのに、時間はかかりませんでした。

高齢のレオが倒れた!

もともと身体が弱いレオはいろいろな病気を経験していたのですが、私の入社2年目頃に倒れたことをきっかけに、さらに具合が悪くなり、両目も失明したうえに、社内で週に2~3度の点滴までが必要となり、おっかなびっくりしながら、点滴もお手のものとなりました。

目が見えないレオにとっての朝夕の散歩もできるだけ楽しいものにしたくて、ただ歩かせるだけでなく、いろんな場所に寄り道したりして、『みちくさ』の面白さも伝えようといろいろ工夫をしたものです。

思いがけない介護生活の始まり

やがて、さらに老化も進み、朝・夕の散歩も大変になってきたので、普通のリードから介護用ハーネス装着に切り替えました。

まるでマリオネットのようにレオをハーネスで吊り上げて歩いていると周りから「大変ね~」というねぎらいの言葉をいただいたりして、近所でも評判でした。

季節に関係なくお天気のいい日には、公園のブランコでゆらゆらしたり、すべり台で遊ばせたり、ベンチでうたた寝させたりと、思いつく限りの楽しい思い出作りをしたものです。

写真もたくさん撮りました。これで生きていた時のレオをいつでも見ることができます。

介護から見えてくるもの

食事もドッグフードよりも食べやすいようにとご飯を雑炊にして与えることになり、介護生活もどんどん負担が増えていきます。

食事も手作りで対応する

近くの商店街から鯛の切り身・白菜・サツマイモ・ブロッコリーを買ってきて仕事中に毎日ご飯作りに励みました。

その頃にはレオはもう前腕が伸ばしたまま曲がらなくなり、両腕を開いたままの姿勢はレオを苦しめていました。

寝返りさえもできなくなっていたのです

食事も自分でお椀から食べることができないので、ひとさじずつ与えます。また、お水も飲めないので私たちがソファに座り、抱っこしてスポイトで少しずつ飲ませるのですが、おやつタイムの、ドッグフードを水に溶かしたものがお気に入りで、喜んで飲んでくれました。舌をちょっとだけ出して「おやつちょうだい!」のポーズをするのがなんとも愛らしく、「この子のためならなんでもしよう!」と思わせてくれるのでした。

また、いつの間にか私とのコミュニケーションも上手になり、私が話しかけると「ワン!」とか「ワ、ワ、ワ~ン!!」とか返事ができようになっていて、「なんて賢い子」とびっくりするやら、うれしいやらで、まるで我が子の成長を見守る母親の心境です。

お別れの時

しかし、レオの寿命も迫りつつあり、体力も限界に近づいているのをただなすすべもなく待つだけの毎日は、私にとって心の拷問とさえ感じられ、「願わくばなんとか18歳までは生きてほしい」と必死に祈り続けましたが、その甲斐もなく、平成29年11月に息を引き取りました。

亡くなる前の朝、出勤後すぐに私がレオを迎えに行くと、「待ってたよ~!」というように震える手足を上にあげて、哀しそうに泣く様子から「昨夜この子に何かが起こった・・・」と直感的に悟りました。

その日のお昼ご飯の食べ方が悪く、晩ご飯も食べられない状態に「やっぱり何かがおかしい」と気づきましたが、後の祭りでした。

 

翌朝出社して、レオの家族の方からその日の朝方に息を引き取ったと聞かされ、急いでレオのベッドに駆けつけました。

レオの身体はまだ暖かかったので、急いでタクシーで最寄りの動物病院に駆け込み診てもらいましたが、もう死後硬直が始まっており、臓器も動きを止めていると死亡を宣告されて初めて、レオの死を受け止めることができたのでした。

その日は段ボール箱にお花をいっぱい入れてレオを安置し、翌日お葬式も無事に済ませ、永遠のお別れをしました。

私のなかでは「なぜあの具合の悪かった時に病院に連れて行かなかったのか」という激しい後悔と、抑えようのない悲しみに胸を引き裂かれる思いでした。

その反面「レオは自分で動かせなくなった身体から自由になったんだ」という安心感もあり、とても複雑な気持ちを抱えたままその後何日も苦しい日々が続きました。

仕事中も、家に帰ってからも涙が自然に流れてきて、この悲しみが癒える時は来ないのでは、と思ったりもしました。

 

以前、モルモットを亡くした時の『ペットロス』がまたもや私を苦しめるのです。「悲しむのがイヤだから、もう動物を愛さないと決めたのではなかったの?」と。

 

それでも私はレオを自分の子どもとして世話をし、可愛がってきたのは事実です。レオが亡くなった日に、一緒に世話をしてきた同僚が私に言った「レオがあなたを呼んだんだと思う」という言葉が胸にしみました。

私もそう感じていました。

レオが自分の晩年の世話を私に望み、運命を託したのかもしれないと。

 

今、ペットロスのあなたに伝えたいこと

最愛のレオが亡くなってからもう1年ちょっとが過ぎました。今では笑顔で振り返ることができるようになりました。虹の橋を渡ったレオは、初めて対面する神様に「ボク、たくさんの人から愛されました」と報告したことでしょう。

不自由な身体で精いっぱい生きたレオを私は誇りに思います。

世の中には動物好きな人たち、またペットを亡くして悲しみに暮れている人たちもたくさんおられると思います。

愛する動物たちとの別れは生きていれば誰にでも訪れます。でも、それを恐れないで欲しいのです。あなたの愛は彼らに通じていたということを信じてもらいたいのです。

最愛のペットを亡くした涙は、いつか流れなくなるものです。

だから、勇気を持って、足を一歩前に踏み出しましょう。あなたのかわいい子たちは空から見守ってくれていますよ。

 

 

 

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