出張で淡路島へ行くことが多いんです。
淡路島へ行くときと帰るときに、必ず、淡路サービスエリアに立ち寄ります。そしてこの世界一の橋を眺めています。いや、対岸の街を必ず眺めています。
この橋ができる一年前に結婚し、この橋のたもとの街に住んだのです。
半人前の結婚
10年間のお付き合いを経て、結婚しました。
一緒に住むようになった次の日の朝、横に嫁さんがいて、何とも言えない気持ちになったことを今でも覚えています。だって、いつも彼女の家まで送っていたんですから。
一度、迎えに来たお父さんと出会って、踵を返されたこともありました。
いままで実家を出たことがなかった自分には、それすら冒険でした。
いや、結婚はもっと冒険でした。
嫁さんは仕事をしていたけれど、私には、まだ仕事がなかったのですから。
当時私は、オーバードクター(大学院の修了年限が来ても就職できない就職浪人)でした。
いわば、学生結婚です。
もちろん、あちらこちらに応募するものの、連戦連敗でした。一人前に結婚したものの、一人前じゃない気がしていました。
母親の悲しみ、自分の悔しさ
働く嫁さんに代わって慣れない家事をしました。
まずくて食べられないチャーハンを作ったこともありました。
それでも、料理本を見ながらなら、なんとか食べられるものができるようになって、自分の母親を新居に招いたとき。
「おまえに仕事がないから、料理をしないといけないのか」と、涙ながらに言われました。
古い考え方と言えばそれまでですが、言い返すことも出来ず、ただただ自分が情けなかった。
自分はずっとこのまま仕事に就けないのではないか。そんな思いが頭をめぐりました。不安のあまり、夜中に飛び起きたこともありました。
そんな悶々とした日々を過ごしている自分に、子どもができました。
すると、なんと、子どもができたと同時に…週3日の勤務という非正規雇用だけど、研究所の研究員の職にありつくことができました。
新米父さんに強力な支援者現る!
週3日の勤務ですから、時間には余裕があります。子どもが熱を出せば、病院へ連れて行くのは私の仕事でした。
平日の昼間に父親が病院に連れて行っていると、通りすがりの見知らぬ女性に嫌味を言われたこともあります。
嫁さんの帰りが遅くなるときは、まだまだ料理が下手だったので、いつも近所の市場のお総菜屋さんで晩御飯のおかずを買っていました。
そのお総菜屋さんのおばちゃんは、いつも買ったものの倍以上のおまけをしてくれますが、袋に入りきれません!
小さい子どもを連れたお父さんが買い物に来ていたことで、不憫に思ったのかもしれません。一緒にお店をされていた、おばちゃんの息子さんもいつもそうしてくれました。
恐縮している私に、2人とも決まって同じことを言ってくれました。
「どうせ残したって、自分たちが食べるだけやもん」
ありがたかった。
大学院にも籍を残していて、経済的にも大変だったので。
支援者との別れ
息子が3才になり、保育園を変わらなければならなくなりました。嫁さんの実家近くにある保育園に入所が決まったのです。
そして、結婚生活を始めた場所を離れることになりました。
とてもとてもお世話になったお総菜屋さんに引っ越しのご挨拶に行ったときのことです。心ばかりのお礼を持ってご挨拶に行くと、お総菜屋さんの息子さんは、お礼を突き返して来て言いいました。
「これ、いらんから、引っ越しやめてよ」
全然、儲けにならない客なのに。
嬉しくて涙が出ました。
いまでも、その街を訪れたときは、お総菜屋さんに立ち寄ります。もちろん、覚えていてくれて、お店の中に招き入れてくれ、昔話に花を咲かせます。
「そう、ここは生まれ故郷ではないけれど、私にとってのふるさとなのだ」
その街に住んでいるときに、ルーツを知らない自分には「ない」と思っていた、「生まれ故郷」にも巡り合えたのです。何か因縁めいたものも感じます。
親としてのふるさと
生みの親、育ての親という言葉がありますが、その街は私を親として「育ててくれた親」とでも言いましょうか。
そういえば、その街で、いろんな人に助けてもらいました。育ててもらいました。
子どもを保育園に連れて行くときに、いつも挨拶をしてくれて、ときには売りもののみかんをくれたおっちゃん。子どもと一緒のとき、いつも何かおまけをくれたキムチ屋のおばちゃん。でも、勢い余って食べかけの板チョコまでくれたっけ。
「子どもに」と、他のお客さんに見えないようにおまけのパンを袋に詰めてくれた、パン屋のおばちゃん。
いろんなひとに助けられ、育てられていたんだと思います。
みんなどうしているかなぁ。
あのお父さんは、ちゃんと就職できましたよー。
世間はあったかいです。応援してくれる人がいっぱいいます。
あなたにもいるんじゃないですか。
応援してくれる人が。
だから、あなたは決して取るに足りない人ではないのです。
だって、応援してくれるひとがいるんですから。
出張でサービスエリアに来たときは、いつもいつも、ふるさとを想い、対岸を眺めています。