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イタリアンシェフからライターへ。貧乏でダサいオヤジからの脱却のカギは「ウマい話」に乗ること?

たくさん働いて…

「たくさん働いて質素に暮らす。倹約は人生の重要な課題である」

思想家 リカルド・ムチャブリスキー

「一生懸命働いて、しっかりお金を貯めなさい」

多くの人は両親や学校の先生から、そう言い聞かされて育ってきたはずで、私もそうであった。

だから私は料理学校を出て、三十年間イタリア料理の世界で一生懸命働いてきたのだ。しかし、どうやらお金を貯めることには失敗したようだ。というより、これまで貯金などしたことが無いのである。

「入ってくるが出ても行く

 金は天下の回り物

 自分に留めちゃいけねえぜ

 それが男の生きる道」

バカな男気である。

いや、友人や後輩たちに奢っていた訳では無いので男気でもない。ほぼ自分の為に使ってきたのだ。しかし利己主義的無駄使いということではない。いい訳の様だが、仕事に関係したお金の使いかたではあった。

他業種のひとには信じられないかも知れないが、私の月給の半分は飲食代で消えていたのである。生活水準がかなり低い割には、エンゲル係数50%を越えて、とてもウマい料理とウマい酒にお金を使ってきたのだ。

何故そんなことになったのかをひと言でいえば、洗脳である。当時の私は、身近に居た同僚や先輩の、豪気な一面の拡大解釈に背中を押され(簡単に言うとイケイケの乗り)、バブル期という意味のよく分からない時代の波に支配されてしまっていた。

そして、その波に沿うよう、間違った方向へ進んでいたのである。

料理人時代の(無鉄砲な)エピソード

当時のエピソードを少し紹介しよう。

料理人の会合などで親しくなったひとの店には、食事に行くのが礼儀である。お互いに相手の店に行き来をして、食事のあとは飲みにいく。そしてそこに互いの知人を呼んで交友関係を広め合うのである。

そんなフォーマットが、暗黙のうちに出来あがっていた。ここまでは飲食業の社交としては全うなことである。健全なお約束と言ってもよいであろう。

しかしその後がいけない。人数も増え、酒もまわって気が大きくなっている。だいたいは二軒目に当時流行りだしたワインバーに行くのだが、そこで、増えた人数で割り勘にしても、普段飲むワインとは二桁も金額の違う、超高級ワインを開ける羽目になってしまうのだ。

これは酔った勢いの暴挙であり、明らかに行き過ぎた行為であろう。貴重なワインに対する冒とくですらあったと猛省せねばならない。

当時はグルメブームの真っただ中であったので、雑誌に載った気になる店へもよく出かけた。しかし、ひとりで行くのである。

「なんで私は連れて行ってくれないの!」と、彼女に責められると

「お前と行くと月に一度しかレストランに行けない。おれ一人だと二回行ける」と言い放つ。

人の気持ちを慮ることが飲食業の本道であるにも関わらず、なんて思いやりのない冷酷非道な言動だ。だが当時は、女になどお構いなしで仕事の向上心のみで生きている、そんな姿がカッコイイ男だと思い違いをしていたのだった。こんな自分勝手な野郎は、けちょんパチン(なんだこの言葉は)にフラれても当然である。

飲み食いした金は戻って来ない

また、世界中の美食料理が集まる街と言われ始めた東京の有名店を食べ歩きたくて、新大阪を早朝に出かけ、ランチで二軒、ディナーで一軒のレストランを無理して巡り、最終の新幹線で帰る途中、食べ過ぎと飲み過ぎのため、ゲエゲエ苦しんだこともある。

二度と体験したくない出来事だ。

その日は、交通費も合わせると一日で十万円ほど使ったのだが、まさに散財というほかはない。

この様な愚かな話は枚挙にいとまがなく、振り返ると情けなく、反省点もたくさんあるのだが、時間を巻き戻せるといわれても「あの日に帰りたい」などとは、微塵も思わない。

どうせ同じことを繰り返すに決まっていると想像が出来る上に、修業時代からもう一度やり直すなんて面倒臭くてやっていられないのである。

ただ、当時のお金には「寂しくなったらいつでも戻っておいで」という親心は持っているのであるが、彼らが帰って来る気配は全くない。親心子知らずとは、本当にやるせない言葉である。

そんな三十年間を過ごし、ようやく成熟した料理人として、本当の意味で楽しみながら仕事が出来そうだという時に、身体を壊して料理の仕事を離れる事になってしまった。

そうして、二十年ほど私にずっと寄り添ってくれていた「イタリアンシェフ」という肩書きが消えてしまったのだ。

何かをして稼ぐしかないという、意思表明

現在の私に肩書きを付けると「フリーランス・ミドルエイジャー」

こんな風に、カタカナにするとなんだかベンチャー職のように見えてカッコ良く思える。

しかし、漢字で書くと「無職中年男」

なんだか犯罪の記事に出てきそうで危険な文字列だ。人前に出るのも憚られる。

まぁ、どちらでもいいのだが、今のままでは、過去の思い出しか持たない貧乏でダサいオヤジだという事実は同じである。このままではいけない。

愚かな話はいつか笑い話になるが、貧乏でダサい話には先がない。未来永劫、貧乏でダサいのである。とにかく稼がねばならない。

「さて、何から始めようか」と考えた答えは、

「こんなオヤジがこの先、どのようなリハビリテーションに取り組み、社会生活を取り戻して稼いで行くか、その過程をブログという形で記録しよう」

という思いに行き着いたのである。ウマく行けばそれで広告収入を得ることが出来るらしい。

ウマい物に振り回されて散財した、過去の苦い経験を活かすことの出来ない、ウマい話に懲りないオヤジではあるが、貧乏でダサいオヤジから、無事に卒業出来る日が来るときを願うのであった。

おっと、言い忘れ。

冒頭の思想家、リカルド・ムチャブリスキーをググっても出て来ませんのであしからず。

彼は、堅実な人生を好む、僕の頭の中に居る一番目立たない住人です。

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