あらゆる“好奇心”に生かされているライターのポーリアです。
今回は、『日常に潜む死角』について感じたことがありましたので、参考までに書いてみました。
駅周辺にひっそりとたたずむ「コインロッカー」を軽く考えてはいけないということを、身をもって知りました。
自分が預けたコインロッカーの場所を覚えておこう
11月初旬、2泊3日の予定で東京に行きました。
私はこの旅行で生涯忘れられない経験をしたのです。
それは2回のコインロッカーを巡る失敗です。
すぐ目の前にあるからといって、安易に預けないこと
1回目は2日目のJR池袋駅でのことでした。
池袋駅の改札前にコインロッカーがあったので、軽い気持ちでキャリーバッグと手提げバッグを預けました。これから目白台・四谷・市ヶ谷と学生時代の思い出の地巡りをするためでした。
18時に知人と神楽坂で夕食の約束があったので、17時半過ぎにJR池袋駅に戻り、「さあ、コインロッカーに預けた荷物を回収しよう」としたところ、そのコインロッカーの場所が思い出せないのです。
せめて「〇〇前」という場所名だけでも覚えていればスムーズにいったのですが、その時はただ「目の前にコインロッカーがあった」という理由だけでそこを選んだのでした。
これが間違いの元だったのです。
はたして夕食の約束に間に合うのか?
約束の神楽坂に行く前に上野駅近くに予約してあるホテルににチェックインして、荷物を置いてこなくてはいけません。
池袋駅で電車を降り、地下をぐるぐる廻りながら、いくつかの改札口で駅員にコインロッカーの場所を尋ねても「さあ、コインロッカーはいくつかあるのでわかりません」という冷たい答えしか返ってきません。
そうこうするうちに私が預けたコインロッカーは地上にあったことを思い出しました。
なんとか地上への出口に辿りつき、駆け上がると、これまた自分がどこに出たのかがわからなくてさらに焦ることに。
駅員よりも現場を良く知る人に聞く
とりあえず駅の周囲を歩き続けると、駐車場の案内をしている男性に遭遇。
「この人なら教えてくれる!」と絶対の信頼を寄せて質問すると「ああ、そこならここを曲がって左にずっと行ったらありますよ」と親切に教えてくれました。
急いでその方向に歩いていき、私が預けたコインロッカーにようやくたどり着きました!
感激もそこそこに、ロッカーから荷物を取り出し、タクシーでホテルにチェックイン後、すぐに神楽坂に向かい、無事に夕食に間に合うことができました。
預けた場所を覚えたら次は周囲のコインロッカーの配置図を頭に入れよう
こんな経験をしたので、翌日の朝、上野駅のコインロッカーに荷物を預ける時は「不忍池前」というような表示をじっくりと確認してから鍵をかけて、その日の予定をこなすために出発しました。
この日は、東京駅17時半発の新幹線に乗るため、本当は一番便利な東京駅のコインロッカーにしたかったのですが、さすがに空いているのを探すのは至難の技だろうと思い、比較的空いていそうな上野駅に決めたのでした。
そんな私のあてずっぽうは無残にも裏切られることになります。
2度あることは3度ある…
実は、東京に行く寸前に会社近くにある駅のコインロッカーに荷物を預け、翌日自宅にその鍵を忘れ、回収できなくなるという伏線があったのです。
その為、コインロッカー会社の社員さんに開けてもらうという不名誉の経験をしたばかりでした。
荷物の回収は時間に余裕を持たせる
16時半ごろに東京駅前のお洒落なビルで同僚にお土産を買ったのですが、店員さんの包装に思いのほか時間がかかり、荷物を取りに上野駅に駆け戻ったのは17時を過ぎてしまっていました。
17時半の東京駅発の新幹線に乗るにはわずか30分しか残されていません。
この時点でも私はまだ少し余裕を持っていました。私が預けたロッカーは「不忍池」と覚えていたからです。
駅の構内を歩き回って、ついにロッカーが見つかりました!
しかし、自分の番号が見当たりません。そこにあるのは「4000」番台だったのです。
自分の鍵を見ると「3000」番台・・・
慌てた私はまた構内を別のコインロッカー目指して駆け回りました。新幹線の時間が刻々と迫ってくるのを痛いほど感じながら。
ようやくまたロッカーが目に入り、飛んで行くと、そこは「2000」番台。
ここまでくると、もう私は発狂寸前です。
「じゃあ、私の「3000」番台はどこにあるの?」という疑問に胸が締め付けられます。
途方にくれながら、死に物狂いであちこちの改札口の駅員に詰め寄りましたが、「「不忍池」だったらそっちの方ですよ」というそっけない言葉ばかり。
周囲を見ると同じような店舗が立ち並ぶ風景に囲まれているうえに、頼みの綱の天井近くの案内灯の表示もどれも「不忍池」となっていました。
この時ほど「東京の人は冷たい」という言葉を実感したことはありませんでした。
結局荷物を回収できず
コインロッカーを見つけ出すことをもう諦めて、JRで東京駅に着いたのは17時25分。
見送りに来てくれた知人にコインロッカーのカギを渡して、上野駅で荷物を回収して自宅に送ってもらうことにしました。
すでにホームに入っている新幹線に乗り込むべく階段を駆け上がり、新幹線の搭乗ドアそばの売店で、予定していたお土産のお菓子をなんとか2個買い、新幹線に滑り込んだのは発車寸前でした。
預けたままの荷物の中に大事な自宅の鍵が入っていた
回収できずに終わった荷物の中に自宅と駐輪場の鍵が入ったままだと気付いたのは、新幹線が走りだしてほっとした頃のこと。
新幹線の中から大急ぎでネット検索して「鍵レスキュー」に電話して自宅の前で待ち合わせたのですが、うちの鍵は特殊な種類だったようで、結局開けてもらえず、出張費だけを払い、その夜は急遽、近くのビジネスホテルに泊まることにしました。
宅配便で送ってもらう予定の私の荷物は早くても翌々日の夜だったので、連泊したかったのですが、フロントで満室と言われ、部屋に入ってすぐに翌日の夜のホテルのネット予約が完了してようやく眠りにつくことができました。
翌朝はホテルから会社に行き、その夜はもう1泊ホテル暮らし。
予期せぬ展開にさすがの私も心が折れましたが、無事に乗り切れたことには満足しています。
JR上野駅『不忍改札口内連絡通路コインロッカー』マップがあった!!
ちなみに、東京から帰った後で調べてみたら、私を迷わせた上野駅のコインロッカーのマップが見つかりました。
あの時、時間に余裕があったらもっと冷静に対処できていただろうなと思います。
しかし、コインロッカーの配置図を駅員が持っていないということがまず不思議でなりません。
私が接した駅員・案内係はいずれも「そんなものはありません」と答えていましたが、旅行者にとって何よりも必要不可欠なものではないでしょうか?
よく言われる「東京の人は冷たい」という印象がさらに強くなる
思えば、上野駅で藁にもすがる思いでコインロッカーの場所を問いかける私に「シッ、シッ!」と言わんばかりにうるさがる駅員たちと、美しい制服を着た案内の女性に、一抹の不安を覚えたのは確かです。
来るべく2020年の東京オリンピック開催の時に起こるであろう、今回の私と同じような来日客たちの失敗への備えは、はたしてできているのだろうかという疑問がふつふつと湧いてきたのでした。
右も左も、言葉さえもおぼつかない外国人観光客を前に、このような無関心な対応があちこちで繰り返されるのではないだろうかと。
行き先を聞きたくなくなる改札の駅員たちへ
現に、最終日に東京駅前で昼食をとる待ち合わせの時間に改札口に立っていた時に、アジア系の若い女性が声をかけてきました。自分の行き先は分かっているのですが、どの線に乗ればいいのかと聞いてきたのです。
私もよくわからないので、すぐ目の前に改札があるので「駅員さんに聞いたらどうですか?
」と言うと、「ダメ、ダメ。あの男の駅員、キライ!ワタシ、あの人とケンカしたよ!ゼッタイにダメ!」ととても怒っていました。
その後、彼女は私に「アリガトウ」と言って、構内の向こう側に消えていきました。
まとめ
東京都としても、2020年の東京オリンピックでは来日客への万全の対策を講じるでしょうが、本当に徹底的な来日客対応をしなければ日本の威信にかかわると感じています。
2013年に行われた「2020年オリンピック開催地」プレゼンにおいて話題になった『お・も・て・な・し』が「絵に描いた餅」とならないように願うばかりです。