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2020年5月、非日常が日常になった世界の片隅で ~ウイルスへの思考実験(1)~ライター南部優子

防災ライターの南部です。

新型コロナウイルス感染症の拡大による緊急事態宣言が出されて4週間になろうとしています。

自粛要請はあいかわらず強く、ゴールデンウィーク明けまでの予定だった「緊急事態」の期間はさらに延長される見通しです。

防災を専門とする者として注目するのは、感染症対策の効果の検証ではなく、ウイルスという外からの脅威に対する人々の認識と行動です。

いま起きている現象をどう捉え、何を判断し、行動していけばよいのか。まだ流動的な時期の思考ですから、書きながらなお、揺れ動いています。それでもやはり、ことばに残しておきたいと思います。

 

目次

「緊急事態」が長期化する矛盾

いま、社会の状態で大きな違和感をもっているのが、「緊急」の状態が数カ月も続いて長期化したら、それはもう緊急と呼べないのではないか、というところです。

見えているものと、ことばがあわないのです。

日常化したら、「緊急」じゃない

いま目の前に広がっている状況は、表向きはとても静かです。

もちろん医療機関は別です。次から次へと続く戦いに頭が下がります。どれだけ神経をすり減らしているかと、心が痛みます。

でも、大半の人びとは、そのような緊急事態の状況はそのままには伝わりません。ひたすらじっとしている状態です。

 

感染の広がりを抑制するための対処も、毎日ずっと続けなければならないものですから、平常時に準備している行動と差がなくなっていきます。

――人との身体的な接触を避けよう。

――同じ空気の中で長い時間を過ごさないようにしよう。

――目・鼻・口から取り込まないようマスクと消毒で防御しよう。

――いつ誰が感染してもすぐ対応できるよう対策をとっておこう。

緊急、緊急と叫ぶ社会に対し、身の回りでできることは、限りなく日常的です。

 

防災の世界で定義する「緊急」「応急」「復旧」

防災の世界では、災害が起きたときの時間軸を、「緊急」「応急」「復旧」という断面に分けて考えます。

「緊急」は、とにかく命を守ることに注力するとき。

「応急」は、人びとの当座の生活を守る対策に集中するとき。

「復旧」は、再び安心して暮らせる社会に戻すとき。

期間の目安は、災害の規模にもよりますが、「緊急」が3日くらいまで、「応急」が数週間くらい、「復旧」がそれ以降、といった単位です。

時間の流れにより、災害に対する人びとの体や心持ちは。どんどん変化していきます。だいたい10の累乗の時間の単位で心理的な変化が起き、社会の動きが変わっていくという学者もいます。

いつもと異なる社会の変化は、あまり長く引っ張りつづけることはできません。ずっと長い期間、緊急事態を意識して緊張しつづけていることに、人間は耐えられないのです。できるだけ早く適応しようと日常化をめざして、身体的・心理的負担を減らそうとします。

でもこのまま身を縮めた状態が日常化するといつか破綻してしまう。

いったいいつまで耐えなければならないのか、そもそも耐えきれるのかと、怯え、身をすくめてしまいます。

「緊急」ということばがもたらす圧力と日常とのギャップ、先の見えない不安に疲弊しているのが、いまの状況ではないかと感じています。

 

感染症は災害なのか

ところで、ウイルスの感染症が災害なのか?と思われた方もおられるかもしれません。

災害とは、外的な現象により人や社会資産が被害を受けた状態を指します。外的要因の多くは、地震や津波、台風や豪雨といった自然災害ですが、人工物が引き起こす事故災害などもあります。

ものが壊される自然・事故事象、人がこわされるウイルス

日本における災害対応の基本軸を定めている「災害対策基本法」第2条1では、災害の用語を「暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震、津波、噴火、地滑りその他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他」と定めています。

ウイルスによる感染症は、実のところ明確に法の中で災害要因と定められていません。ウイルスが物理的に建物やライフラインを破壊することはありませんから、ものが壊れることを前提とした法や計画にはなじみにくいのはたしかです。

このため、今回のウイルス対策も、厚生労働省を主軸に整備を進めた感染症対策をふまえて政府が整備した「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」を適用させていくかたちで対応が進められています。

 

社会機能の停止という意味では、ウイルス感染も「災害」

一方で、ウイルス感染の拡大によって引き起こされる現象をみてみると、自然事象や事故などによって引き起こされる社会現象と変わらないところが多々あります。

――尋常でない人が亡くなって対応が追いつかなくなる。

――救命に関わる対応が急激に増大してリソースが足りなくなる。

――感染拡大を抑制するために行動制限して社会・経済機能が停止する。

たとえ建物は壊れていなくても、人びとの活動がこわされて社会が機能不全に陥ってしまっているのですから、「外力による被害」という点で災害と変わらない状態になっているといえます。

 

日常の中に非日常がある「新しい日常」へ

では、ウイルス感染により機能停止した社会が災害と同じだとして、災害対応からどんな視点を参考にすればよいのでしょうか。

鍵となるのは2つ、行動方針と行動計画です。

もちろん方針と計画はふだんから立てているでしょうが、災害時は、方針と計画を、大きな枠と小さな枠でひんぱんに繰り返していくことにより、めまぐるしく変化する現状へ対応する力をつけていきます。

「行動方針」で、断面ごとの目的と優先順位を決める

行動方針は、先に挙げた「緊急」「応急」「復旧」のそれぞれの断面で、最も大事にすることを決めておきます。守るべきものは命とお金(生活)の維持です。

感染症の場合だと例えば、

――「緊急」:感染者が身近に発生したとき/資金がショートするとき

――「応急」:都道府県単位での感染が続く間/仕事が減っている間

――「復旧」:感染がピークを超えた・次の流行期までの間

というように、自分が最も影響を受ける状況を想像し、いくつかの区切りを設けたうえで、どのようなレベルで命と生活を守る必要があるかを考えるようにします。

 

「行動計画」で、思考と行動のサイクルをつくる

行動計画では、先に考えた行動方針で守るべきとしたレベルを達成するためにやるべきことを整理していきます。

タスクの洗い出しと考えれば、ふだんからやっていることの延長で組み立てていけるかと思います。ここで重要なのは、災害時の計画は、できるだけこまかな間隔にすることです。

地震発生時に立ち上げる災害対策本部だと、対応策を考える会議は、緊急の間は数時間おきに行うこともざらです。それだけ状況がめまぐるしく変わるからです。

ウイルス感染の場合は、さすがにそこまで頻繁ではないでしょうが、少なくとも緊急の間は朝晩、応急の間は毎日か1日おき、復旧のころは1週間など、断面ごとの間隔を決め、方針と行動にぶれがないか確認することをおすすめします。

計画の立て方のポイントは、思考と行動のサイクルです。

――現状(被害状況と使えるリソースの状態)を事実ベースで把握する。

――受けている影響の度合いと、当面の見通しを推測する。

――行動方針を形にするためにすべき行動と順序(重要度)を決める。

――次の見直し時期を決める。

ふだんの計画の立て方と基本は同じですが、とても短いスパンで状況把握-判断-行動-見直しを行っていくこと、行動方針で決めた大きな枠組みをふまえつつ、行動するときのスパンではその都度小さな枠組みの中で重要事項を判断して軌道修正していくことが特徴です。

 

先が見えないのはいつもと同じ

人から人へ感染するウイルスは、見えない力で社会のつながりを分断し、判断をためらわせます。これからどうなっていくのか、何をするのが正しいのか、誰にもわからず、不安ばかりが先行します。

でも、思い出してください。先が読めないのは今に始まったことではありません。地震だって事故だって同じです。経済の危機も然りです。

 

政府も都道府県も、これからもずっと「緊急事態」だと圧力をかけつづけるでしょう。三密(密閉・密集・密接)につながる社会活動の排除、長距離移動など行動の自粛要請も、程度の差はあっても長期化するはずです。

その一方で、さまざまな機関から支援策が散発的に公表され、行動のヒントとなる先行事例が少しずつ増えてくることは予想できます。

非日常が日常となった今、「いつものように」まとまった形で公的援助のしくみができるのを待っていても無駄です。

 

身体的なつながりが見込めない中で最も強力な武器は情報です。これからは、細かなスパンで的確に状況を判断し、すばやく行動に移せるための良質な情報を手に入れられるよう、よい情報源の確保がなにより重要となってきます。

そして、情報源の核になるのは、人です。

身体的なつながりが分断されているウイルス危機の中で最も重要となるのが人脈というと皮肉すら感じますが、つまるところ、社会を構成するのは人、人のつながりこそが社会です。

感染拡大が止まらない日本の片隅で、生命と経済を守るため、ひとまずは緊急事態への対応を考えつつ、これからどのような人のつながりかたが「新しい日常」となっていくのか、思考実験を繰り返していきたいと感じています。

 

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