下咽頭癌、12時間の大手術
私は下咽頭癌という病気の手術で、頸部の食道や気管、そして声帯を摘出しています。
少し説明をしますと、下咽頭癌というのは、喉の奥の下の辺り、ちょうど食道と気管が分かれるところにできる癌の事で、頸部リンパ節や肺へ転移する可能性も高く、治療方針の決定が遅れると命を失いかねない病気です。
発症の初期段階ならば、患部表層だけを剥ぎ取る手術を行い、のちに放射線と抗がん剤で治療ということも可能ですが(この場合声帯は残ります)、進行してしまった場合は、確実に癌を取り除く方法として、咽頭全摘出が最も有効な手段となります。
しかしこの場合は、患者にとって最も苦渋の選択である、声を失うことになってしまいます。
音楽プロデューサーでもある大物ミュージシャンが「大切な声を失っても生きる事を選びました」と、パソコンを使った筆談でTV番組やCMに出演されているので、この病気のことをご存知の方も多いかもしれません。
私は、彼のように声を仕事にしていたわけではありませんが、実際に自分の身体に起きた変化は、想像していたよりも精神的にダメージを受けました。
しかし術後の回復期間中に、主治医や理学療法士から
「他者とのコミュニケーションが困難になるため、家に引きこもりがちになり、鬱状態になる人も多いので注意すること」
「同病者の自助グループへ参加して、仲間とのつながりの中から社会生活への復帰をめざす」
という助言をいただいており、落ち込みながらも、少しずつ前へ進んで来ることができています。
もう一度、言葉を取り戻す方法があった
声帯を失っても、代用音声を使いコミュニケーションをとる事ができます。それには三つの方法がありました。
まずひとつは食道発声法。これは食道に空気を飲み込み、少しずつ吐き出しながら食道を震えさせて音源を作る方法です。わかりやすく例えると、げっぷをコントロールして発声するということです。
器具を使わずに、見た目も自然な感じで発声できますが、習得難易度はかなり高く、手術の内容によっては不可能な場合もあります。
次に電気式人工咽頭発声法。これはその名の通り、電池で作動するマイクのような形をした器具を喉元に当て、ブザー音を鳴らし、口や舌の動きで発声する方法です。
比較的習得は容易で、練習次第で上達します。しかし音の高低を付けることができないので機械のように棒読みで、のっぺりとした音声になってしまいます。
そして三つ目がシャント発声法。咽頭全摘出によって完全に分離されている気管と食道に、新しくバイパスを作り、そこに人口声帯を設置する方法です。
摘出前の状態とかなり近い感じで話す事が出来るので、もっとも自然な感じで会話ができます。
しかし、設置するために再び手術が必要な事と、定期的な器具の交換や日常のメンテナンス費用がかかるデメリットがあります。
声は声帯で作るのではない
私の手術内容では食道発声法はまず不可能だと思われました。ですから電気式人工咽頭方式を選びました。
回復期間中から器具を手に入れ、理学療法士の指導で、リハビリの一環として「言葉の発し方」を学習しましたが、これはなかなか面白い経験でした。
それまではただ漠然と、声帯が言葉を作るのだ、と思っていましたが、そうではなかったことに気が付いたからです。
外国語を学んだ時を思い出していただければ分かると思いますが、発音をするときに、口の開け方や舌の動かし方が大きなポイントだと教えられたはずです。
そしてそれは日本語でも同じ事なのですが、私たちは赤ちゃんの頃から自然に体得していたので、特に意識せずにできていたのです。
声帯は空気を震わせて音を作る音源に過ぎず、それが電気式人工咽頭器に変わっても、口と顎と舌の動きで言葉が作れるのです。
よく考えると当たり前ですが、目からうろこが落ちる思いでした。
どんなに頑張っても発音できない音
それから週に一度の発声練習が始まりました。
(あいうえお)から順に、一日に一行ずつ、(か行)は、、、(さ行)は、、、と発音の講義は進んでいきました。ところが、(は行)の時に「残念ながら、(は行)は発音できません」とショックな事実を告げられました。
私はがっかりしてやる気を失いました。おそらく顔色に出ていたと思います。それを見て取られたのか、
「ですがちょっとしたテクニックを使って、相手に(は行)を聞こえるようにしましょう」と裏技的な話し方のコツを教えてくれました。
それは文頭に(は行)を使わない、という方法でした。
例えば「ハガキをください」と言うとき、私の発音では「アガキをください」と聞こえます。アルファベットで言う(H)の音を出す事ができないからです。
これでは聞き手には何を言っているのか伝わりません。そこで「郵便」という言葉を文頭に付けると「ゆうびんアガキをください」と聞こえ、聞き手に察してもらえる可能性が高くなります。そんな風に言葉の配列を組み替える工夫で相手に伝えるという方法なのでした。
私には、これはなかなか楽しいことに思えました。想像してみてください、相手に期待を込めて発する言葉を頭の中で瞬時に探しだし、それを相手が察知して受け止めてくれたときの連帯感と喜びを。
こころの中で思わず「それな!」と叫んでしまいます。
コミュニケーションは言葉ではなくこころ
結局コミュニケーションというものは、相手のこころの動きを予測したり、読み取る思いがあってこそ成り立っているのだと分かりました。
このことは声を失わなければ気が付かなかったかもしれません。
私はこれからも相手の聞こえ方を想像しながら、コミュニケーションを楽しめるように成長を遂げたいと思っています。