みなさん、こんにちは。アラフィフ(50代)ライターの篠原たけしです。
岐路に立つ50代
先日、同級生で飲みに行きました。飲みながら話していて気づいたことが、どうもこの50代とは、人生のさまざまな岐路に立たされる年代であるということです。
その話と並行して話されたのが、昔の話でした。中学生時代にやんちゃしていたの話や高校生時代にやんちゃしていた話でした。あれ、全部やんちゃな話ばかりですね。ご心配なく、やんちゃ以外の話もありましたよ。
人生の岐路に立ったとき、振り返るんですね、自分の人生を。それも子どものころの自分を。
私も人生の岐路に立っています。そこで、何となく考えていたんでしょうね。子ども時代のことを。
アラフィフ(50代)ライター遊園地に行く
先日、出張で前橋に行ったときのことです。
何となく、立ち読みしたガイドブックにあった遊園地に行ってしまいました。
おっさんひとりで。スーツ姿で。
その遊園地は、「るなぱあく」といいます。
「るなぱあく」とは、前橋市の中心部にある「前橋中央児童遊園」というのが正式な名前の遊園地です。
1954年に開園して、〝にっぽんいち いちばんなつかしい ゆうえんち〟というキャッチコピーが付いています。
ガイドブックを見ていて、この「なつかしい」という響きにひかれました。「遊園地」と「懐かしい」がつながらなかったのです。かえってそこに惹かれました。
文化財との出会い
そこには、懐かしいものがありました。「木馬」です。その木馬は、開園時からあるそうです。しかもその木馬は、遊園地の遊具では、日本で唯一「国の文化財」なのです。
文化財と聞くと、ケースに入っていたり、柵が張り巡らされていたりして、眺めることがやっとで、触れるなんてとんでもない。というイメージをもってしまいます。
しかし、るなぱあくの木馬はしっかり働いていました。そう、普通に遊べるのです。遊具として。
そして、遊園地には、運営方針である「ゆっくり大きくなる子どもたちのために」の通り、じつにゆっくりとした時間が流れていました。
ゆっくり流れる遊園地の時間
今の遊園地に比べると、乗り物も古いし、派手ではありません。
入園料も無料(それで行ったわけではありませんが)。
乗り物は50円。
木馬にいたっては10円です!
だからかもしれませんが、我先に乗り物に乗ろうと、あるいは、少しでも良い場所でパレードを見ようとする人もいないし、「効率よく」遊園地を回ろうとする人もいません。
それどころか、地面に落書きをしよう!と言わんばかりにローセキが置いてありました。
でも、そんな遊園地だからこそ、開園からある木馬をとても大切にしながら、使い続けているし、また、ゆっくりした時間が流れているので、来た人たちもみんなこころにゆとりができて、大切にし続けることができるのではないかと思うのです。
目まぐるしく変化する現代
私たちの社会は、グローバル化や通信技術の発達もあって、ものすごく早く変化していきます。まるで「バスに乗り遅れるな」といった感じで。
子どもたちの置かれている状況も同じですね。寸暇を惜しんで勉強して、結果を出す。夜遅い電車でもと塾のカバンを持った子どもたちにたくさん出会います。テストという結果を求められているのでしょう。
私たちも結果を求められます。もう1、2年待ってなどと悠長なことを言ってられません。そんなことをしたら競争に負けてしまいます。しかも相手は、もはや日本国内だけでなく、世界中に相手がいます。
AIに負けるかも
そうなると、競争に役立たないものは捨てることになってしまいます。近年の「生産性のない者は…」という議論も、たまたまその方が発言しただけであって、社会そのものはそちらに動いています。
効率よく動き、最短時間で最大の成果を生み出す。
しかし、このように考えている限り、AIに敵わないでしょう。
人生において大切なこと
本当は、人間の成長にはゆっくりと時間をかける必要があるし、私たちの生活も、ときには「効率」を追わないことも必要です。
それが、ものを大切にすることや、お互いを大切にすることに繋がっていくのではないか。そんな、とてもとても大切なことなのに忘れてしまっていることを思い出させてもらいました。
どうやって時間を取り戻していくのかを考えるひつようがあるようです。みなさんは、どうやって時間を取り戻しますか。
ちなみに、「るなぱあく」では、今でも開園当時の乗り物券がそのまま使えます。
さすが「にっぽんいち なつかしい ゆうえんち」ですね。