私は、「普通の人とちょっと違う」病気持ちで閉塞感いっぱいの子ども時代を過ごした。
芸術大学に進みプロダクトデザインを学ぶ中、助けたい「誰か」を思いながらつくったアイデアを商品やサービスに「クリエイト」する方法と伝える喜びを知ったその瞬間、閉塞された心が大きな音を立てて弾け、放たれた。
就職氷河期の中、たった一つの採用通知をくれた化粧品会社は、今と未来のキレイを追求し続ける会社だった。
その会社で思い知らされた「届ける→伝える→広める→共感する」ために使われる「言葉のチカラ」について、母になり、フリーランスになった今、もう一度、考えてみたいと思う。
人とちょっと違う環境で育ったこと~閉塞された心を解放した瞬間と言葉で伝える喜び
私の幼少期は病気や障害をもたない健康な人たちとちょっと違った。
小学校の低学年に内臓の病気を発症し、医師から食と行動を著しく制限された「ちょっとかわいそうな子ども時代」を経たことで、現在の私の生きる価値を見つけ出すきっかけになった。
食と行動を著しく制限され、病院の中と外にある社会を経験しながらの小学校時代、病気や障害を持つ人と健康な人との間に壁があることを理解した、というか無理やり理解する状況に追い込まれた。
「周りの人とは違う私」という名の「閉塞感」を感じながら過ごした幼少期と青年期…その壁の外に出してくれる存在は、自分を完全に守ってくれる「病院の中の社会」と果てしなく空想を繰り広げられる「読書と絵を描いている時間」だった。
そんな日々の中、中学校を卒業する間際の授業で、「プロダクトデザイン」という世界があることを知り、突然、心の壁が「パーン」と弾け飛んだ。
「身の回りの商品は、誰かがデザインしたものなんだ!」
「デザイナー」という世界に魅了されながら高校に入り、「デザイナーになりたい」という欲求は日に日に増し続けた。
”商品をつくって、世の中に送り出したい”
その欲求を、満たしてくれる世界はどこだろうか、と探し、探して見つけたのが「芸術大学」だった。
運よくプロダクトデザインコースへの入学にこぎつけ、2つの方法を学んだ。
”社会や人にとことん向き合ってモノをつくりあげる方法”
と、つくり上げたものが世間の人々の何に役立つのか
”ベネフィットを言葉にして伝える”
プレゼンテーション術を学ぶことで、つくるだけでなく言葉で伝える喜びを知ることで、閉ざされた心はさらに解放へと向かっていった。
化粧品会社で学んだ言葉のチカラ~商品の開発~育成の中で思い知らされたこと
就職氷河期という言葉ができはじめたころ、就職活動をしていた私に採用をくれたのが、化粧品会社だった。
この化粧品会社では、ペルソナとペルソナが達成したい未来の姿を言葉で設定し、「届ける→伝える→広める→共感する」言葉をそれぞれのタスクに合わせて設計する。
この4つの施策カテゴリーは、商品の開発~育成までに実行不可欠なタスクであり、このタスクを最高の状態で達成するためには「言葉のチカラ」が大きな役割をもつことを知った。
採用をもらった化粧品会社は一般的に認知されている化粧品会社の関連会社だった。
配属先は、「商品開発室」で、ターゲットが「欲しい」と思っていることをとらえ、企画に起こし、ある程度の段階まで商品を仕上げる部署だった。
会社に通うことに慣れ始めた半年後、東京にある本社の「商品開発室」に、研修目的で送り込まれることになった。
そこで目にしたのは、連日行われる資料作成、会議、そして、資料作成、会議、、、
そこで議論されていた主な内容は、
”どのような「言葉」を使えば、お客さまの心に届くのか”
という議論だった。
時には、喧嘩でも勃発するのではないかという厳しい言葉が飛び交う中、そもそも東京の言葉自体になじめていない私は、「言葉という名のカオス」に陥ることになった。
そのような中、まず、私が勉強したことは、
標準語という名の言葉 と 顧客をとことん見つめて心を深掘りすること
だった。
NHKのアナウンサーが発する言葉、東京の人が話している言葉を耳で聞き、企画書の中に書かれている顧客に届けたい文章、商品のネーミングやキャッチコピー、説明書を読んで、読みこんで、言葉のカオスを少しずつ整理し、ペルソナに言葉を届け、伝える方法を模索した。
また、この化粧品会社では、言葉をつくりあげる方法以外にも大きなことを教えてもらった。それは、お客さまが購入した「キレイ」のツールを得て、使用し続けることで、
”その人の後の人生を劇的に変えることができたこと”
”笑わなかった人が笑顔になったこと”
”気持ちよく前向きな生活ができたこと”
を喜ぶ顧客からのメッセージだ。
商品は、言葉を届け、伝え、購入され、使用しただけでは終わらない。その後の生活や人生を変えることができて初めて、共感を得ることができるのだということ。
その後も14年間、運よく化粧品会社で「言葉」をつくりあげる仕事を続けることができ、その言葉を世の中に届け、共感を得る段階まで経験を積むことができた。
落ちこぼれの母になり感じたこと~これまでの社会人経験値がゼロになった瞬間と未来への一歩を踏み出すことになった言葉
結婚後も仕事を続けていたが、妊娠、出産、育児休暇中に子どもの容体が急変し、手術を経て、基礎疾患を持つ子どもの母親になった。
病気をもつ子どもの子育ては想像以上の壮絶さで、社会人経験なんてものは全く通用しない日々を送ることになったが、ある日から発するようになった子どもの「言葉」で私は、新たな一歩を踏み出すことになる。
14年の間、昼夜問わず仕事をこなし、仕事上の度重なる難関にもそれなりに対応できていた私のキャリアが全く通用しない、病気を持つ子どもの「育児」の世界…
私はこの「育児」の世界で落ちこぼれになってしまった。
元気な子供を持つのママさんとは違う子育ての環境…閉塞感でいっぱいの毎日を送っていたが、ここでも私に光をくれたのが、幼少期に経験した「病院の中という社会」だった。
運よく優秀な医師たちと出会い、支えられ、励まされ、教えられた。
その中で執刀を担当した医師から言われた、
”命を繋いでいくにはどうすればよいか、考えましょう”
という言葉が今現在の私の歩みの基本になっている。
その後、子どもが3歳になったころ「○○をやりたい」「○○したい」という希望の言葉を発するようになる。
「何かをしたい」という未来を語る言葉は、生きる喜びへと繋がり、達成した喜びは、さらに次の希望に繋がり、長く命を繋ぐ手段になるのではないか。
子どもの「何かをしたい」という希望を将来的に断ることのない金銭的な環境を整えるために、私は、生活の変化にも対応しやすい「フリーランス」という就業形態で働くことを決意した。
「言葉」を使う分野のフリーランスとして活動して感じたこと~ライター集団「大阪ものかき隊」との出会い
これまで経験した業態が「美と健康」分野だったので、この業態に絞って活動をしようと考えた。
調べてみると、フリーランスという就業形態でできる仕事は、多岐に渡り、もう一回、デザイナーとして活動すべきか、企画の仕事がそもそもあるのか…などを考えながら調べていくうちに、「ライター」という分野があることがわかった。
しかしこのライターという職業は、かなりの地雷案件が多発する分野だった。
心のどこかで、まだ「美と健康分野」の情報を世の中の人に伝えきれていないことにモヤモヤをかかえていた私は、ライターという職業なら、今まで経験したことを応用して、何らかのメッセージを世の中に残すことができるかもしれない…と思った。
そこで、2018年からクラウドソーシングのランサーズにプロフィールを登録し、活動を開始した。
どんな仕事があるのか…ランサーズに掲載されたライティング案件の依頼内容をみてみると、
”報酬が安すぎる…という実態…”
大阪市のアルバイトの時給は、「1,000円」を超えるところが多い。
そんな中、最低でも3~4時間はかかるであろう内容に、「300円」とか「500円」という報酬を掲げるクライアントが散見された。
ライターとして成功するためには、低額報酬の案件であっても、コツコツと実績を積んで…と稼いでいるライターのブログには書いていたが、それにしてもひどい労働環境だ。
メーカーに所属していたころ、一部の施策については広告代理店に協力してもらいながら実行したものもあったが、この時に支払った金額から考えると、ありえない金額である。
ひとまず、「1文字1円」以上で「美と健康」分野の案件に絞り、応募を重ねた。
簡単には採用されなかったが、プロフィール欄を充実させることで、数件、採用をいただき、一時的にではあるが、ライター分野で認定ランサーにもなれた。
それでもやはり、数千円レベルの報酬にも疑問を持ちはじめた私は、報酬を気にせず、打ち込める仕事である「商品企画やマーケティング案件」に傾倒していった。
しかし、この分野で出会った会社はスタートアップが多く、業務内容が多岐に渡り、一つのタスクをこなすためにかかる時間が非常に長く、挙句の果てには、資金不足で企画を達成できない。
過密なスケジュールに押され、体調を崩しがちになり、育児との両立が難しくなったため、今年の8月で一旦、終止符を打とうと決意した。
そんな中、「ライター」という職業を語る人の中で、ライターという職業だけで生活を担っている人が世の中に存在することをあらためて認識し、この人たちは具体的にどんな仕事を書いているのか、どうやって案件を獲得しているのかという疑問とともに、その人たちに会ってみたくなった。
まずは、ライターという職業人にちゃんとなれるように勉強したいと思い、ライター講座を探し始めた。
そんな中、現れた「大阪ものかき隊」という団体の名前…
隊のホームページを確認し、ライター講座というものを開催していること、また、その講座が日曜日開催であることが自身のスケジュールと合致し、「8月中に募集」という文字を逆手に「8月下旬」に思い切って、問い合わせをしてみた。
さすが、ライターの団体からのメールの文章、文章の流れがスムーズでわかりやすい。
ギリギリの問合せにもかかわらず、窓口の方から気持ちよく、丁寧なお誘いをいただき、大阪ものかき隊のライター養成講座に滑り込ませていただいた。
大阪ものかき隊「ライター養成講座」が導いてくれたこと~クラウドソーシングでライター業を再稼働してみた
「文章をどのように魅せていくのか?」「文章や言葉のてにをは」といった内容は、第一回、第二回、最後の三回目になっても、大阪ものかき隊のライター養成講座で語られることは無かった。
想像をしていた講座内容と違うことに、途中、少し困惑してしまったが、振り返ると私にはちょうどよい講座だった。
三回の講座の着地点は、
”ライターになった自分をどのように魅せていくのか”
ということだった。
ライターになった自分を、どのようにブランディングし、世の中にリリースするのか、ワークショップをはさみながら一緒に悩み、考えてくださるという内容である。
当然、文章を書くために必要な要素についての説明はあったが、それはさらっとしたもので、講師の本田氏がおっしゃるには、
・常日頃から文字に興味を持つこと
・言葉を素直にとらえ、自分の中に取り入れていくこと
・その言葉を使って、できるだけ多くの文章を書くこと
この3つの「積み重ね」が、言葉を魅せることができるライターへの近道であるとのことだ。
会社人として「言葉」の訓練をそれなりにしてきた私には、この講座はまさに「今の私に足りないもの」を丁寧かつ、わかりやすく導いてくれた講座だった。
講座の2回目を終えて、登録しているクラウドソーシングで活動を再開し、教えていただいたことの半分程度だが実践してみると、採用率が高まり始めた。
すごい。これがフリーで稼ぐのライターの術なのか…と。
約3年間、ライターという職業に対して感じていた、モヤモヤとした感情が一気に晴れた気がしている。
フリーで活動する自分をブランディングする~商品やサービスを通じて「今と未来のキレイ」に繋がる言葉を届けたい
男でも女でも、人であれば、「今よりちょっとキレイになりたい」という欲求は必ずある、と私は思う。
古来から人間は、その欲求を叶えるために肌を清浄し、髪を整え、身体の各パーツを彩ってきたからだ。
なぜ、このようなことをするのか?
答えはシンプル。
キレイになることをすると、気持ちよくなり、豊かな気持ちになるからだ。その人がキレイになるために使ったツールは、一瞬のキレイのためだけでなく、
・顔や身体を洗って気分もスッキリした
・化粧水をなじませたら気持ちいい
・新しいリップを塗ると、誰かに会いたくなる
など、どれもその人の少し未来の「笑顔」をつくるきっかけになっている。
私は、美しく豊かになるために与えられた「モノやサービス」を「コト」にし、その先のより良い未来を「言葉」で現したいと思っている。
そして、ライター業だけにとどまらず、商品企画やマーケティング業を手段にし、これらを現わしていきたい。
さらに、自身の生活スタイルに合わせながら、今までの実績を細分化し、言葉で魅せることができるフリーランスの兼業ライター業を担うことで、子どもの「何かをしたい」に応えられる報酬を得たいと思っている。
未来のキレイは一瞬から
書けてつくれる クリエイティブプランナー
今後の活動指針になる、自分自身のキャッチコピーをここに記します。
2021年10月 ふじきあや