朝、梅田の地下街から曽根崎方面へ
朝、大阪の梅田駅から淀屋橋駅まで歩いている。
地下鉄に乗れば一駅、2分で済むところを歩いている。そのために若干早起きもしている。面白いからだ。
何が面白いかというと、地下街をずっと歩いていくのだが、ほとんどのお店が閉まっているので、いつもよりちょっと薄暗い。
営業中、ここまで照明を落とすことがないので、いつもと違う雰囲気になる。いつもと違う地下街を歩くのは楽しい。しかも、普段は聞き取れないBGMが朝の雰囲気にぴったりだ。
さらに、梅田の地下街を抜けると、曾根崎の地下街に出る。
国道の下にあるこの地下街には、国土交通省の管轄だ。梅田の一等地にある広大なスペースではあるが、活用はされていない。若干の折り畳み机と、掲示物を貼るためのパーテーションがあるだけだ。
決まって、どっかの地方PRのポスターが貼られ、フライヤーが置かれている。黒のタイルでシックな感じの地下街だが、かえって暗い雰囲気を助長している。
私はこの寂れたというか、見放されたというか、うらぶれた雰囲気が好きだ。
曾根崎地下街で地下街は終わりとなり、地上に出ると、そこは大阪一の歓楽街、北新地である。
朝の北新地には発見がある
この北新地の中をさらに歩いていく。北新地を朝、歩くのは楽しい。北新地に来たとき、目当ての店に迷わずたどり着いたことがない。特に入り組んでいるというわけでもないのだが、よく似たお店がたくさんあり、方向感覚がつかみにくい。
朝なら方向感覚がつかめるので、「ああそうか、いつもここで曲がってまちがうのか」などと、答え合わせもする。また、夜は暗くて良く分からないけれど、お店が入っているビル自体のデザインがすごく凝っていることを発見して、ちょっと嬉しくなったりもする。
ただ、歩く際には気を付けないといけない。多くのお店の前、ビルの前で掃除をしているのだ。水をかけてデッキブラシでごしごしと。
さすがに歩行者に水を掛けたりはしないが、道路は濡れている。滑らないように気を付けなければならない。そんな感じで歩いていく。この朝の北新地を歩くのも楽しいのだ。夜来ても分からない北新地の一面を知ったような気がするからだろう。
飲み屋に行くのは、グラスの中に溶かしたい何かがあるとき
飲み屋は、おいしいお酒、おいしい料理を提供するところだろう。
でも、それだけではない。自分も行きつけのバーがあるが、バーに行くときは決まってなんかあった時だ。腹の立つこと、悲しいこと、悔しいこと、残念なこと…。
お酒を飲み、マスターとの気の置けない会話の中でグラスの氷に抱えてきたことが溶けていき、やがて飲み干してしまう。
そして、さあ頑張ろうか。とほろ酔い気分で家路につくのである。
きっとこの北新地でも同じことがあるだろう。
恥もかき捨て、おおっぴらにできないことも、抱え込んでしまっていることもここで下していくのだろう。大阪一の歓楽街なので、お客が北新地に下していったこともものすごく多いだろう。
夜には、ネガティブがたくさんこの地に溜まるのである。みんなどんどんネガティブを下していく。きっと夥しい数のネガティブだろう。夥しい数のネガティブは良くないことを引き起こしそうである。
朝の掃除で清める
そうしているうちに、朝が来る。朝が来ると、掃除が行われる。それもデッキブラシで力強くごしごしと。掃除を見ていて、思った。掃除は「清める」ことだと。
清めるとは
「けがれや汚れを除き去って清らかにする。」(デジタル大辞泉)
という意味もあるが、
「恥や汚名などを取り除く。すすぐ。」(デジタル大辞泉)という意味もある。
なんと、ぴったりではないか。お客が下していった、ネガティブを取り除くのが朝の掃除なのである。
朝に掃除をすることがとても重要だ。朝は夜と違って、明るい。暗くて分かりにくい世界から、明るくてはっきりと見える世界へ。そして、すべてが眼前にさらされる。眼前にさらされたネガティブを清めていくのだ。
ネガティブをいつまでも置いていると、良くないことが起こるのであろう。だから、みんな飲みに行く。「飲まねえとやってられねえよ」とは、抱えられない。飲むことで下したい。ということなのかもしれない。
健全さを生む当たり前
一日動いていると、またネガティブが溜まる。そして、朝にまた清める。この当たり前のことを確実に繰り返す。ネガティブからポジティブへ。
この切り替えがあるから、北新地は、健全な場所としてあり続けている。
ネガティブな場所にはポジティブはやってこない。
けがれた場所には、神様はやってこないのである。
余談 国土交通省は飲み屋を見習ってみたら?
曾根崎地下街では、朝と夜の区別がない。眼前にすべてがあるようで、ない。
まるでアリバイのように張られたポスターだけが眼前にある。それがあのなんともネガティブな雰囲気を出している原因かもしれない。