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健康効果も期待?空前のブームから50年。オヤジライターの3度目のボウリングブーム

目次

健康ボウリング教室

私は今、ボウリングに通っている。

きっかけは、郵便受けに「健康ボウリング教室」というビラが入っていたからだ。

ボウリングという言葉に懐かしさを覚え読んでみると、そこには信じられないような内容が書かれていた。プロボウラーによる講習&チーム戦3ゲームの実技をワンセットとして、合計6回の受講料、ゲーム代金の合計金額が2000円だという。1回の料金ではなく、6回の合計金額が2000円という破格値だ。言うまでもなく即申込みをした、というわけである。

’70年ボウリング時代

私が小学校へ入った頃、空前のボウリングブームがあった。

中山律子という女子プロボウラーがその流行を牽引していたとおもう。なにせ「♪リツコさん、リツコさん、爽やかリツコさん♪」というCMソングまであったくらいである。(たしかシャンプーのCMであったと記憶している)

私の住む市にも次々にボウリング場が新設され、あっと言う間に3つの施設が出来ていた。

当時は「猫も杓子も」といえば、それに続く言葉は「ボウリング」が決まり文句であり、どこのボウリング場も満員御礼で、待ち時間が1時間以上などザラであった。

町内会から敬老会、子供会など、人の集まる会合の行事には必ずボウリング大会が催されていたのである。全ての国民が、と言っても過言ではないほど、多くの人がボウリングを初体験し、その楽しさを知ったはずだ。

しかし空前の大ブームは、オイルショックと共に下火になり、近隣のボウリング場は閉館の憂き目を見ることになった。

その後、業界全体として低迷の時期を迎えたが、ブームは去ったとはいえ根強いファンが底辺を支え現在に至っている。

マイブームの頃の大間違い

私はといえば、根強いファンというわけでは無かったが、20歳くらいの頃、マイブームが再燃したことがあった。

週に3〜4回、1日に10ゲームほどを友人と競い合いながらプレイしていた。

私たちがホームにしていた大阪駅近くのボウリング場には、数人のプロボウラーがいつも端の2レーンほどを使い投げていた。

私たちは、そんな彼らのフォームや腕の動きを見よう見真似をし、無理やり手首をこねくり回してカーブを投げていた。上手く曲がったり、曲がらなかったりする理由もわからずに、根性論で数を投げて上達しようとしていた。

今回、論理的にボウリングを教わり、ボールが曲がるのは、特注で重心をずらしたボールの回転とレーンのオイルの具合で決まるということ、そしてボールの中心に重心があるハウスボール(ボウリング場のボール)では、ほとんどボールは曲がらないことを知り、よくあんな無理をしていて手首を傷めなかったものだ、と胸をなでおろした。

ボウリング場のスタッフのように

「健康ボウリング教室」の参加者は40代から70代までと幅広い年齢層であるが、私より10歳ほど上の60代半ばの方が大半で、前述のボウリングブーム時に熱中していた中心世代だと思われる。男女比は半分ずつである。

プロボウラーが教える内容は論理的で、非常にわかりやすかった。その上、レーンの裏側まで潜入して機械の仕組みを見学したり、レーン表面のオイルの状態や造形など、ボウリング場で働かないと知ることが出来ないところまで詳しく知ることができ、ボウリングに対して新たに興味を持つことが出来た。

マイボールとマイシューズも手に入れた

健康ボウリング教室を6回全て終了して、現在はエンジョイクラブに参加して、毎週チーム戦をしている。

重心をずらした曲がるマイボールはクラブに参加する特典で無料支給され、マイシューズも優待価格で提供された。

ちなみにボウリングシューズは左右で底の素材が違っている。利き足はラバーソールで踏ん張りが効くようになっていて、反対側はレザーソールで滑るようになっている投げ終わりに足がツーッと滑ってカッコ良いフォロースルーが決まるのは、片方のソールが滑るからである。

お互いのプレイを褒め合うことが幸せを呼ぶ

技術的、論理的なことの他に、健康維持に適した運動量で続けやすいということや、精神的な効果についても学んだ。

他のチームと対戦しながらの実技を行うが、他者のプレイを賞賛することが一番重要だと教えられた。チームメイトはもちろん、対戦相手のプレイヤーがストライクやスペアを出したときも、タッチや拍手や掛け声で応える。

これによりオキシトシンというホルモンが分泌され、ストレスや不安が減少され幸せな気分になれるのだ。実際にやってみると、ほんの1ゲーム、このようにスキンシップや掛け声をするだけで、幸せな安心感が心に生まれることには本当に驚かされた。

日本のボウリングの歴史

まとめとして、日本におけるボウリングの歴史を調べてみた。

1861年日本で初めてのボウリング場は「インターナショナル・ボウリング・サロン」といい、外国人たちの社交場として長崎県の大浦にあった外国人居留地内に開設された。その後、1864年には横浜に第2のボウリング場ができるが、こちらも日本人がプレイすることはなかった。

日本人のためのボウリング場ができたのはずいぶん経ってからで、1952年に東京の青山に「東京ボウリングセンター」がオープンしたのが始まりである。そして、1970年代に須田開代子や中山律子といったスタープレイヤーが出現して大ブームとなったのである。

大ブームから約50年。

健康維持のために役立つスポーツだと、シニア世代を中心に再燃する気配を感じるボウリング。「健康ボウリング教室」は、各地のボウリング場で開催されているようなので、あなたもチャレンジされてはどうだろうか。

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