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文章が下手でもライターになれる時代に、ライターとして生きる人へ

大阪ものかき隊

ライターコミュニティを運営したり、養成講座を開講しているため、多くのライターさんからさまざまな連絡をいただきます。

ベテランライターさんからは「〇〇な案件に合いそうなライターさんいないかな…紹介して!」
中堅ライターさんからは「成長できそうな案件があったら声かけてください!」

そして駆け出しライターさんからは…
「文章が下手でも、ライターになれますか?」

今日は、この問いについて考えてみようと思います。

目次

ライターになるだけなら、誰でもなれる

「文章力がなくても、ライターになれますか?」
と聞かれたら、私は「なれますよ~」と答えます。

国家資格でもなく、開業に条件もないライターは、自分で名乗れば誰でもなれます。そこに「文章力が必要」とは誰にも決められていません。逆に初心者さんはどうして「ライターには文章力が必要」と思い込んでいるのでしょうか。

だからあなたが「私はライターだ」と決めたら、文章力なんてなくてもライターにはなれます。どうぞ思うように、たくさん文章を綴ってください。言葉はすべての人が平等に使える、すばらしいツールです。

ただしここに「稼ぐ」という概念が入ってくると話は変わります。自分の書いた文章をお金に換えたいのであれば、価値を判断するのは他人になります。いくら自分が頑張って書いても、評価されなければ、誰にも買ってもらえません。

おそらく「文章が下手でも、ライターになれますか?」と聞いてこられる駆け出しライターさんは、「私でも稼げるようになりますか?」ということを聞きたいのでしょう。ここにトラップがあります。「文章力=稼げる力」と、安易に結びつけてしまっているのです。

それ、自分勝手な判断ではないですか?

そもそも自ら「文章力がないんです」という方は、なぜそう思っているのでしょうか。

誰かに「あなたの文章力は〇点」と評価を下されたのでしょうか。
文章塾のようなところで、講師にコテンパンにけなされたのでしょうか。

文章力は、貯金や体脂肪率のように数字で測れません。

もしあなたが本気で「自分はライターとして稼いでいける文章力を持つのか」を知りたかったら、さっさとその文章を売ってみましょう。買ってもらえなかった(クラウドソーシングなら提案が通らなかった、テストライティングに落ちた)とき、はじめて「ああ、自分は下手くそなのかな」って思えばよいと思います。

それすらせずに「なれるでしょうか…」「下手なので、うまくなってから提案します」といっているうちは、絶対に成功しませんし、そもそも自分の文章力がライターの世界で通用するかどうかすら、永遠に判断できません。

売れなかったら、持ち帰ってくればいいだけです。商売の基本です。
まずは自分の文章を市場に出す。どんな評価を受けるか自分で受け止める。
それがすべての始まりです。

文章力も武器もなければやめたほうがいい

ただし「文章力がない」に加えて、人脈ない、営業力ない、努力しない、あげくに時間がないんです…という方には、ライターはやめておいた方がいいのでは?と伝えます。

確かにこの数年で参入障壁はほぼなくなり、片手間でライター業をやる人も増えました。副業も社会的に定着し、在宅ワークの広がりがそれを後押ししています。

でも、いや、だからこそ覚悟を決めて取り組むしかないんです。ライバルはどんどん増えますし、発注者のリテラシーもどんどん上がってきています。当然稼ぎにくくなります。搾取案件も増えます。そもそも文筆業なんて、魑魅魍魎の跋扈するダークサイドな業界です。先見の明、第六感、裏情報を武器にして、カオスな世界をするっするっと生き抜ける「生命力」がなくては、そうそう成功なんてしませんよ。

「文章力が…」なんてお行儀のよいことをいっているうちは、目端の利く、人脈と情報量を武器にしたライバルにどんどん置いていかれます。

あなたに「圧倒的な文章力」がないなら、かわりに何か武器を手にしなくてはいけません。

すでに何かをお持ちではないですか?
本当にライターとして食べていきたいと思うなら、きれい事をいってる暇はありません。手持ちの武器を磨くこと。出し惜しみしないこと。「文章力がない」というあいまいで優しい世界に逃げないこと。

ときに、日本語がめちゃくちゃでも、多くの読み手の心を動かす滋味深い文章がバズることがありますよね。その文章の武器は「パッション」です。何かを伝えなくてはいけないと感じたとき、音楽でも絵画でもなく「書きたい」と思った、その情熱が、バズという「誰かの心を動かす結果」を生みます。

あなたは言葉で何をしたいのか

でも…やっぱり文章力は必要でしょう?と思う方に、ちょっとたとえ話を。

友人が
「料理が下手なんだけど、居酒屋を開きたいな」
と相談してきたらどうしますか?

居酒屋経営者として成功したいなら、自分の料理の腕をつべこべいう前に、よい職人を探して店長にする。それから経営を学ぶ。これで夢に近づけますよね。

料理が下手でも料理が好きなら「家庭の味」というコンセプトでお店を出せばよいでしょう。3つ星レストランが好きな人からは酷評されるかもしれませんが、素朴な味が好きな、リーズナブルで安心できる居酒屋が好きな人には喜んでいただけると思います。

今は下手でも、とことん料理の腕を磨きたい…というなら厳しい師匠の元に弟子入りするのがよさそうです。下手な自分に向き合い、下積みすべきです。

ライターも同じです。

単に「会社やめたい…」「稼ぎたい…」と思うなら、文章力にとらわれずビジネスとしてのメディア運用や商材開発をするのもひとつの道です。

自分で書きたいのなら「あなたの文章がいい」といってくれるクライアントとお仕事をしましょう。クライアントは文章力だけを見ません。切り口、人間性、相性、それからことばの奥にあるあなたの軸を信じて発注をしてくれます。

そして、本気で文章力を磨きたいなら、厳しい編集者に叩かれまくりにいく。「文章力なくて」なんて口にする余裕もないほど、書いて書いて書くしかありません。

ただし料理も文章も、うまい下手ではなく「好きではない」のなら、やめた方がいいのではないでしょうか。いやいや書いてては、言葉をこねくりまわすこと自体に悦楽を感じられる人に、負けます。

人生に「書くこと」を介在させることの意味

言葉は誰にでも扱えるすばらしいツールですが、それを扱うことで人生が向上していく人たちがいます。ずっと言葉のことを考えて、それが苦ではなく、苦であっても快楽を伴い、「書くこと」への関与で心が満たされる人たちがいます。

ライターとは、日本語のうまい人を指すのではなく、「書くことが人生の軸になっている人」のことです。

ライターになる・ならないの判断を「文章力」に委ねるのはちょっと怠慢。もっともっと、深く、「自分の人生に『書くこと』を介在させることの意味」を考えてみてください。

そしてやっぱり「書きたい」と思うのなら、文章力なんていう小賢しい概念に左右されずに、堂々と言葉とかかわってみてはどうでしょうか。あなたの書いたものは、うまい下手という評価軸を超え、あなたの分身としてこの世界で羽ばたいていくはずです。

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